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それは、一九八四年二月に始まり 一九八五年三月に終わり この間の十二か月は あたしの一生で最悪の時だった 炭坑夫が炭坑夫を裏切り 家族はまっぷたつにわれ 怒りとつらさにあたしはうろたえ にもかかわらず、あたしにできることは何もなかった 警官はブ夕だ、とあたしは思うようになったが こんなに憎たらしいと思ったことはかつてなかったし ・・・・・ 父さんがピケに加わってからは 万が一けがをするのではないかと 暴力にまきこまれはしないかと心配だった 警官はまるで、父さんたちをチリかホコリのように扱った ・・・・・ スト破りした連中を殺してやりたかった マギー・サッチャーも死んでしまえばよいと思った こんな気持ちを、特定の人に抱いたのは初めてだったのでかわりにスト破りたちをのろった ・・・・・ あたしは新しい服を買うことができたけどそうでない人たちは、気の毒だと思った そういう人たちは、ぼろ市に行ったり、福祉手当を受けたりしなこてはならなかった ストが終った時はほっとしたけど スト参加者がゾロゾロ戻ってきた時は、ものすごく悲しかった 父さんや他の炭坑夫たちの目には、涙があふれていた ストは、本当にヤマのたったひとつの支え、全ての中心だったのだ。ものすごく悲惨なことに ジル・ギャスケル「炭坑スト」 (14歳・ヨークシャー) この詩が示すように、本書はイギリスの炭鉱ストを子どもの目から追ったものである。炭鉱ストの影響をもろに受けた子どもたちは、平和な家庭が崩れたり、警官や一部の近所の人々や友だちなどを敵対する存在として考えざるを得なくなったり、お金がなくなのやむなく共同で飯場で食事をとらなければならなくなったりしたことに戸惑うが、ヤマを守るため、子どもの未来を守るためにたくましく闘う親たちの姿に共感する。子どもたちは、炭坑夫の子どもであることを誇りにし、ヤマをつぶそうとする政府に怒りを感じる。炭坑夫の値打ちは「黄金よりも尊いもの」といい、炭坑夫こそは「本当に国を思う、英国人の中の英国人」で、「炭坑夫魂はイギリス全土の権力と栄光の中にやどっている」という。 どの作品を読んでも、子どもたちの真剣な目と熱い思いが伝わってくるが、おやっと思ったのは「スト破りだって楽じゃないさ」の詩である。スト破りを非難す作品ばかりの中で、「おれだってピケに加わりたいさ」とスト破りの立場をうたったこの詩は即に印象的だった。 ヤマのおかげで生活している炭坑夫、ヤマは宝物であり「父さんから子への贈り物」であるが、炭坑ストで子どもたちが感じた怒りや悲しみ、ストを通じて芽生えた問題意識は、将来彼らを豊かな人間に成長させるだろう。これこそが題名の「父さんの贈り物」なのではないだろうか。 日本にも炭鉱の閉山の問題は昔から数多くあった。土門拳の写真集『筑豊の子どもたち」や後藤竜二の『ボ夕山は燃えている』もこの問題を扱った作品である。『筑豊の子どもたち』のるみえちゃん姉妹は炭鉱失業者のどん底生活の中でよりそって生きている。父が死んだ後は児童相談所に送られる。『ボ夕山は燃えている』では、母の再婚で得られたカズの束の間の幸せな生活は炭鉱の閉山でぶちこわされる。荒れる炭坑夫の父。立ち直った父は東京で職を得てカズたちも後を追う。るみえちゃん姉妹、カズや友だちのゴン、ボサ公、マサ、エージが自分たちの考えを語ったとしたら何を語っただろうか。ヤマをつぶした者への怒りだろうか? 本書の二人の訳者、山崎勇治はイギリス炭鉱史研究の立場から、田中美保子は児童文学研究の立場から本書の翻訳、出版に取り組んだ。立場は違っても二人のねらいは一つ、他人の痛みに無関心な「利己主義の子どもたちを育ててはいけない」である。子どもばかりでなく、今まで炭鉱問題などあまり真剣に考えたことのなかった私も、本書を読み深く反省させられた。 (森恵子)
図書新聞 1987/09/12
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