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どこかなつかしくホットな感じの表紙絵に、帯の「家出をしていたにいちゃんが『女』になって、帰ってきた!」が目を引く。 主人公は有名私立中学校へ通う響。家族に、まじめなサラリーマンの父親、息子自慢をする専業主婦の母親、そして高三のときに家出したままの兄がいる。その兄が七年ぶりに帰ってきたところから物語が始まる。 女装し、優雅な動作で女言葉を話す兄。「お店」が休みの三週間、家において欲しいと言う兄に父親は凍りついたまま口を閉ざし、母親は受け入れるポーズはとるものの一人勝手にしゃべり続け、響は、自分のペースを乱すうっとおしい存在で「とらえどころのない、にぶそうな他人」のように感じていたのだが…。 最初、響から見たこの兄の物語かと思っていたが、兄はいわばトリックスター的な存在で、主題はあくまでも響の内的状況にあることがわかってくる。 親の期待通りの学校に入学したものの、すでに落ちこぼれ。小学校時代に比べ学校生活はちっとも面白くない。将来の人生を考えると「ふつうの人生から脱落したはず」の兄の方がずっと充実して楽しそうに思えてくる。 イライラが昂じ両親の大切にしているプランターをこわしたり、斜視で太ってにぶそうなクラスメイトを陰険に傷つけてうっ憤を晴らしていた響だが、中間テストの成績が両親に知れ、一番屈辱的な「やっても…できない」という言葉を吐き出すや、一気に爆発してしまうのだった…。 「こういうわたし」を認めてもらいたいから帰ってきたんだよと言う兄。腹が立ったり暴れたりするのは認めて欲しいから。そのことに自分で気づかなくては、と静かに説得する兄の言葉はそのまま作者のメッセージだろう。 人間描写に厚みがあり、存在感のある兄は出色。無理解に見える両親でさえ、私たち多くの大人の無意識が象徴的に表現されているようで、深く考えさせられる作品だった。 (上村 直美)
読書会てつぼう:発行 1999/01/28
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