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中学生の頃だ。祭りの縁日で、子ども向けに書かれた、新書サイズの近現代史のシリーズを数冊買った。確か河出書房から出版されたもので、一九五七年に同社が倒産した直後にゾッキ本として流出していたのだろう。その本で始めて知った、女工哀史、関東大震災での朝鮮人虐殺、小林多喜二の拷問死、朝鮮人の強制連行といった、日本の近現代史の暗部に激しい衝撃を受けた。戦後民主教育の只中にあっても、学校では教えられないことばかりであった。それがきっかけで、下山、三鷹、松川事件などの、戦後の混乱期に起こった労働運動の弾圧につながるミステリアスな謀略事件にも興味を抱くようになった。後に、松本清張の『日本の黒い霧』を貪り読んだり、政治的な関心を持ち学生運動に関わるようになったのも、この本の影響が大きかったのではないかと思う。 経済至上主義で戦後を突っ走ってきた日本が、バブル崩壊後にその行方を見失い、アイデンティティーの不在からか、国辱史観などという煽情的な言葉で、ナショナリズムを喚起しようという怪しげな動きが、若者たちにも浸透しつつあるこの頃だ。アジア諸国への侵略さえも矮小化する歴史教科書が出回ったり、国民的な人気作家の著作などを引き合いに、明治期の指導者を賞賛し、そこから学ぶべきことが多いなどの言説も拡がっている。学校教育を通して、子どもたちに近現代史をしっかり伝えてこなかった盲点が、逆利用されている現状は極めて危険である。このような中で、子ども向けに二〇世紀の百年を判りやすくたどってみせる、この本の意義は大きい。 著者の村上義雄さんは、朝日新聞の記者として、様々な現場に立ち会ってきたジャーナリストである。イスラエル占領下のパレスチナへ、崩壊前のベルリンの壁へ、五月革命後のパリへ。子どもと教育問題を主なテーマに、国際的な視野から二〇世紀の後半を取材し、書きつづけてきた著者ならではの俯瞰的視点が、「20世紀を一緒に歩いてみないか」という表題に見事に集約されているようだ。 ウォーキングのスタート地点は、明治維新。天皇制国家の建国と、富国強兵であり、その延長上に二〇世紀が幕をひらく。一九〇一年「田中正造、足尾銅山の悲惨を天皇に直訴」から始まり、一九〇二年「日英同盟締結―ロシアにらむ外交戦略」、一九〇四年「日露戦争勃発―一将功成りて万骨枯る」と続く。二〇世紀のキーワードとも言うべき内外の事件や事象を、著者の視点から約八〇項目選び、それを見開きか二見開きを使って解説するので、それぞれがコンパクトで読みやすい。 著者は歴史をひもときながら、現在を語る。一九二五年「恐怖の治安維持法」では、同法の成立から小林多喜二の虐殺を紹介し、一連のオウム事件に対しての破防法適用論議にもふれ、オウムの犯罪は許せないが、ソフトなムードを漂わせながらの巧妙な手口による大衆心理の誘導に、「よく目を見開いていないと手遅れになる」と警告を発する。一九四〇年の「紀元は二千六百年」では、「日本は神の国」などと政治家が言い出したら要注意で、「日本人は油断すると何をするかわからない。カッと目を見開いてよく見つめておこう」と呼びかける。「人気抜群の政治家ほど危ない。拍手喝采に迎えられて登場したヒトラーがその代表選手だが、過去に例は山ほどある」とは、暗に昨今の小泉人気を指しての言葉であろう。 一九五七年の、文部省による教職員の「勤務評定」強行に、戦後のいわゆる民主教育の変容を見てとり、現在学校の中に吹く「冷たい風」や、子どもたちの「すさみ」の原因の一つを読み解く視点も見逃せない。一九六〇年「「六〇年安保闘争」と革新政治家」では、安保反対で高揚し、国会前を埋め尽くした群集に対して、総評や共産党の指導者が即刻解散を呼びかけるという信じ難い光景を、新米記者であった著者は目にする。朝日新聞の社説も、全学連の「国会構内乱入」を「まことに思慮なきハネ上がり」と批判する。それに対して著者は、「この社説は、いつもは中立的な顔をしているマスコミの背後にかくされた、階級的立場を明らかにしている」と断ずる。著者自身がメディアの内側にありながら、それを相対化して見る視点も爽やかだ。一九五三年「テレビ、この現代の怪物」でも、今年起こった「本当に怖いことは、人気者の顔をしてやってくる」という、社民党のテレビCMの放映拒否続発に、「本当に怖いのは自分で自分を縛る自主規制だ」と述べる。 時代と並走し様々な現場に立ち会ってきたジャーナリストが、若い世代に贈る、なかなかエキサイティングな近現代史のガイドブックである。(野上暁 『子どもプラス』8号) |
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