ナバホの大地へ

ぬくみちほ文・写真
理論社 2001

           
         
         
         
         
         
         
    


 コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、そこをインドと勘違いしたところからアメリカ先住民の“インディアン”という呼称が誕生した。それが不適切な表現だと認識されたのは、つい最近になってからだ。そして、ネイティブ・アメリカンとかアメリカ先住民などと呼ばれるようになったが、それさえも好まない人たちが現地にはたくさんいると著者はいう。
 部族ごとに言葉も文化も歴史も違うのだから当然である。“ナバホ”という呼称さえも、その地を最初に訪れたスペイン人の聞き間違いで、年配の人々は自らを“聖なる人々の子ども”を意味する“ディエネ”と呼ぶのだというのだから複雑である。

 著者はニューヨークの大学在学中に、人類学のフィールドワークでナバホのリザベーション(居留地)の保育所を訪れる。そこでナバホ語しか話さない、夫がメディスンマン(祈祷師)の女性と出会い、彼女の導きでその伝統文化や歴史に魅入られていく。黒い石のパイプをいぶらせ、母なる大地、父なる空、神なる太陽に朝の祈りを捧げ、朝日を浴びながら羊を解体して、その命をいただく。ナバホの習俗には、日本にも共通するものが多々ある。

 それらは、大地にしっかりと根を張った生活の知恵であり、自然との深い関わりの中から見いだされた精神の充足なのだ。混迷の現代にとって、示唆の多い出色のノンフィクションである。(野上暁)
産經新聞2001.03.27