夏が教えてくれたこと〜いい時間の見つけ方

細江幸世

           
         
         
         
         
         
         
    
「じかんって のびたり、ちぢんだりするんだよ。あれって思うことあるでしょ」と、鼻の穴をふくらませて息子がいう。
 夏休み、遅々として進まない時計の針をうらめしく思ったあの日。
 いつまでも頭上にいると思ってたお日さまが、するりと山に隠れてしまったあの日。時間はまっすぐじゃないよ、不公平だなって感じていた小さな私がいる。
「そういうとき、あるね」とこたえると、えへへと笑う。
 彼には、私の小さかった日なんて、想像もつかないんだろうな。彼の時間の進み方と私の時間の進み方も違う。象とねずみの時間が違うように。そして、やっぱり夏休みの時間の進み方も特別なんだよ。
 いろんなこと、やってみよう。いろんなこと、見てみよう。
 そう思って山へいく、海へいく。
 時間はたっぷりある。何でもできる。そう思ってた。8月の終わりまでは。
 ひぐらしの声に、あれっ、おかしいぞ、こんなはずではなかったのに、と気付く頃には、もうあたふたとした時計の針しか覚えていない。
 ゆったり過ごした豊かな時間はかたちになって残らないから、なんだか損をしたみたい。でも、ただキラキラとした気分だけがかすかに身体が覚えている。そしてまた、1年が過ぎ夏休みがくると、身体の方が先に動いてしまうのだ。
 キラキラとした気分が身体に少しづつたまっていけば、いい時間の見つけ方がうまくなるかしら。大人になってもキラキラとした気分を味わうことができるかしら。息子を見ながら、ふっと思う。
 いい時間に出会うために、今の私にできること。
 あの気分を見つけたくて、選んだ本がこの10冊。

「くんちゃんのもりのキャンプ」ドロシー・マリノ作 まさきるりこ訳 ペンギン社
<キャンプ大好き!>
「ぼく、キャンプいきたいなあ」この絵本を読むとかならず、息子がいう。「ぼくも、くんちゃんみたいにお魚つって、夕ごはんに食べて、お星さま見ながらねるの」
 息子にとって、くんちゃんは、いつもすてきなことを思いついたり、やってみたりしているお友だちみたいな存在なんだろう。くんちゃんが失敗すると「ちがうよねえ」と鼻をピクピクさせ、くんちゃんがうまくできると「ほうらね」と胸をはる。
 今回、くんちゃんはコマドリにベッドの作り方を、アヒルに泳ぎ方を、カワセミに魚のとり方を教えてもらう。だから、いとこのお兄さんのいうことに耳をかさない。それで失敗ばかりしてしまうのだけれど、最後はくんちゃんが胸をはる。
 たった2色で描かれただけの地味な絵本だけれど、こんなにも奥行きのある森が広がって、すてきなことがたくさん出来る。ゆったり深呼吸したくなる絵本だ。

「おさるのはまべ」いとうひろし作 講談社
<のびちぢみする、すてきな時間>
 ざぶーん、しゅるしゅるしゅるー と波にからだをあずけて、丸太になってしまったのは南の島にすんでいるおさるです。
 このおさるくん、目の前のものの後や先の様子をいつも想像してしまうおっちょこちょいな子だから、朝、なかなか目をさまさないお日さまが心配になって、まいごになっちゃたかなあ、おなかこわしちゃったかなあと考えたり、波はいつうまれたのかなあ、いつおやすみするんだろうと思ったりしているのです。すごく、子どもたちに人気があります。きっと子どもって同じようなこと思って、毎日、頭ぐるぐるしながら暮らしてるんだろうね。
 浜辺で波と追いかけっこしたり、砂のお山にトンネルをほったり、貝をひろいっこしているだけなのに、このおさるたちの楽しそうなこと。
 大好きな人たちとただ一緒に過ごしているというだけで、小さな子はこんなにも<素敵>をたくさん見つけて、いろんな思いで心を満たしているのだとこの本は教えてくれます。誰にでも、どこででも、素敵な1日は手に入るはずだと。

「きょうりゅう きょうりゅう」バイロン・バートン作 なかがわちひろ訳 徳間書店
<私のきょうりゅう本ベスト1>
 夏になると、どこかでかならず恐竜博があって、いろんな本も並ぶけれど、私にとっての恐竜本ベスト1はこれだ。
 こんなにおおらかでに生きてる、暮らしてるって感じられる恐竜の姿を描いた本はそうはない。しかも絵本というメディアの持つ魅力を十二分に使い切っている。
 アメリカではこの絵本のbig book(幅1メートルくらい)が発売されていて、その大きなページをめくっていると、本当に大昔の森に迷いこんだみたいな気持ちになる。つかれてねむっているトリケラトプスの赤ちゃんみたいに丸くなってページをめくった。
 夏の寝苦しい夜も、この絵本があれば大丈夫。さいごのシーン「つかれると やっぱりねむくなった きょうりゅう きょうりゅう おおむかし」で、うっとりとねむってしまうはず。大きな大きな夜空の下でゴロンと寝ころぶきょうりゅうと小さな私の夢を見て……。

「きこえる きこえる なつのおと」マーガレット・ワイズ・ブラウン作 レナード・ワイズガード絵 よしがみきょうた訳 小峰書店
<音から見える生き生きとした世界>
 目を閉じて、耳にとびこんでくる音を記号で書きとめる、サウンド・マップというゲームがある。右後方から風に吹かれ木の葉のサラサラいう音が聞こえて涼しかったっけ。真上でバサッと何かがとんだような音がしてびっくりした。などとマップの記号を見ながら、目を閉じていた5分間の様子を思い出すのは、なんとも不思議な体験だった。目にしていないのに映像が頭の中にうつっていた。音が絵を見せてくれていたのだ。
 同じように新鮮だったのが50年も前に描かれたこの絵本。4色かき分け版の手法がかもし出すあたたかさとシャープな画面構成が、今みても古びていない。子犬のマフィンが夏の1日に聞いた音と、その音がうまれた現場をダイレクトに結びつけた、スピード感のあるページ展開が映画のよう。次は何?とはずむ心をしっかりとらえるブラウンの文章は小さな人に寄り添って、世界の不思議をとり出してみせてくれる。なんと生き生きとしていることか。

「ペンギンくん」高畠純さく 絵本館
<ゆっくり おひるね いい気分>
 夏はのんびり、マイペースが一番。「ペンギンくん」を見てると、ほんとにそう思います。
 手のひらサイズの本に小さなお話が10話。お話をいうよりも1コマ1ページの4コママンガみたい。でも、このページをめくる時間が、妙なおかしさを育てているような気がします。クスッと心を10回はずませると、知らないうちにふんわり、からだが楽になってるのではないかしら。
 私のお気に入りはさいごのお話。<そだてましょう>とペンギンくんが種をまき、<そだちましたよ>と不思議な木が生え、<やすみましょう>と木にとりつけたハンモックに横になるペンギンくんとお月さま。
 1ページにたった一言、文章が入るだけで、絵がいっぱい話しかけてくれます。ほとんど無表情に見えるペンギンくんですが、ちょっとしたたたづまいの変化がかわいく、おかしいのです。
 他にも高畠さんのペンギンくんは斉藤洋さんとのゴールデン・コンビが贈る「ペンギンおうえんだん」(講談社)等のシリーズでも見ることが出来ます。こちらもおすすめ。

「かえるのはなび」長 新太さく 佼成出版
<夏の花火はいいもんだ>
 ドカーンと打ち上げ花火も威勢がいいし、手元で楽しむ今時の花火もおもしろい。最後の締めの線香花火。パチパチはぜる火花が柳だれにかわって、ふっと玉が落ちると、夜風に少し秋を感じる。
 長さんの絵本では、かえるが花火を作っています。どうしてかえるなの?と聞かれても困ってしまうけど、森の中の広場にちんまり花火工場を持ってるの。そこへ、おなじみのぞうがきて「いますぐ花火が見たいのだ!」と鼻の中に花火の玉を入れてフガフガいうのです。この絵が傑作、ありゃりゃ、どうしましょという感じ。おこったかえるが象の鼻に火をつけて、ドカーン!
 クレヨンで描かれた花火の力強さ、薄紫の夕闇に浮かぶ花火の美しいこと、つくづくいい絵だなあと思います。クレヨンの線の強弱だけで火花の熱さ、煌めきを描ききっている。名作「ぼくのくれよん」(講談社)の伸びやかさに、華やかさが加わったこの絵本。ラストもジューッとわらえます。

「海辺のくま」クレイ・カーミッシェルさく 江國香織やく BL出版
<かなしくなんかないよ>
 ふっと心細くなることがある。
 それは心の隙間を陣取って、少しづつ大きくなる。そして、いてもたってもいられない気分にさせる。私のいる場所はここじゃないのかもしれない、どこかに本当の居場所があるはずだと。
 そういう思いに全うに向き合うのは、少々骨が折れるから、みんな適当に自分に折り合いをつけてしまう。それをくり返すたびに澱がたまっていき、不自由さが染み付いてしまうのかもしれない。
 でも、この小さなくまは心の穴に向き合って、お父さんをさがしはじめる。逃げたりしない。手紙を書き、海やイルカやハマグリにまで訪ねていく。そしてやっと自分のうちを見つけるのだ。「だいじなのは きみがまもられていて、気にかけられ、愛されているっていうこと」というヤドカリのセリフに後押しされて。本当の居場所はどこかにあるものではなくて、自分とだれかとで作り上げていくものなんだ。きっと作者もそうやって暮らしてきたにちがいない。
 江國香織さんの透明感のあるリンとした訳文が、このたよりない小さなくまのひたむきさを支えているように思う。

「海がくる」安土萌さく 杉田比呂美え 理論社
<しずかに聞こえてくる思い>
 海がくる。しずかに しずかに 海がやってくる。それなのに だれも にげようとしなかった……。
 この冒頭の文章だけで、もう引き付けられてしまう。
 海が来るってどういうことなんだろう。海が来て人はどうなってしまうのかしら。
 何も説明しない。説明しないことで成り立つ作者と読者の共犯関係が、このショートショートの魅力の大きな部分を占めている。その短編を絵本化するのは至難のわざだったろう。単なる挿絵では作品の詩的な飛躍は描けない。それをかたちにしなければ絵本化する意味がない。
 杉田比呂美は巧みなページ構成で文章と絵を有機的に結びつけた。文章の奥にひそんでいた、愛おしさを素直にかたちにしてみせてくれた。
 やさしいようで残酷な、残酷なようでやさしい海を小さな夢の集まりとして解釈したのだ。それは画家のやさしさだろうか。ささやかな喜びの姿を好んで描く杉田比呂美だからこそ、しずかであたたかな手触りの海になったんだと思う。

「”少女神”第9号」フランチェスカ・リア・ブロックさく 金原瑞人やく 理論社
<せつなくって、愛おしい>
 なんだか、急にせつなくなる。
 木陰の輪郭が少しぼやけて、夏の終わりを感じる時。
 自分がかわってしまうだろうと漠然と自覚してしまう瞬間。
 リア・ブロックの描く少女たちは、自分の変化を息をひそめてやり過ごそうとしていたり、変化に向き合って克服しようとしたりする。どちらにしても変化はおこり、彼女達はそれをクリアして次のステップへと進んでいくのだ。雄々しい、といってもいいかもしれない。
 ゲイの男の子をすきになってしまったり、ドラッグとセックスの日々を過ごしていたり、おかあさんが自殺してから他の人には見えないともだちに支えられていたりする女の子たち。シチュエーションもキャラクターもぶっ飛んでいるのだけれど、その子たちの心の有り様はわかる。すとんと胸に落ちるのだ。そして、その軌跡の鮮やかさに勇気づけられる。本当にキュートな心持ちになる。登場する人間すべてにあたたかい気持ちを注ぎたくなるような。現代を生きる10代を主人公にして、これほど、生きて在ることを肯定的に信じていこうとする本ってなかったような気がする。リア・ブロックの心意気に大人のあり方を考えさせられる。

「DIVE! 1」森 絵都さく 講談社
<少年たちの終わらない夏>
 森 絵都の描く登場人物は、口調がリアルだ。セリフの間や言葉じりになじんくると、キャラクターがたってくる。印象に残るセリフも多い。きっと、耳がいいんだな。
 高飛び込みというマイナーでストイックな競技でオリンピックを目指す少年たち。それぞれに何ものかを抱えていて、それを取り巻く大人のいろんな思惑も渦まいて、ラストまでには二転三転しそうな書き込み方だ。
 プールの水面がささいな風で波立つように、少年の心も何げない一言でざわつく。自分や人との距離を見定めよう、見定めたいと願いながら、ぎごちなくぶつかったり、遠巻きにして恐れたり。からだと心がまだ未分化で、だからこそどう伸びていくかわからない時期を、夏の太陽に照らしてとった青写真みたいに、確かに紙に定着させてみようとしている。目が離せない。