夏時間の大人たち

中島 哲也・作
フレーベル館 1997.4

           
         
         
         
         
         
         
     
 大人と子どもはどう違うのか。まわりの世界や大人や自分自身に対して「ヘンだ」とか「なぜ」と感じる小四のたかしの眼や、彼の両親の子供時代の記憶をとおして、ユーモラスにそして時に鮮烈なイメージで綴った物語。
 僕は鉄棒の逆上りができない。「つらいことから逃げたらダメな大人になる」と先生のいつものお説教で僕を含め、5人が放課後特訓することになった。けれど僕はさぼってお母ちゃんとテレビの昼メロを見ている。でもちょっぴり不安。というのもおかあちゃんは「生きてりゃいいのよ」と僕に期待しないし、電器屋のおとうちゃんは事故にあってから仕事もせず一日ボーっと窓から外を眺めている。僕のまわりの大人はあまり立派じゃない。子どものころはどんなだったのだろう。
 父の記憶―妹がイタズラした画の空の色。怒って塗りつぶしたその画がコンクールで金賞をとったが本当の事が言えず、画が嫌いになった小四の頃―。
 母の記憶―死に近い病気の母をヘビ女で自分を喰うつもりだと恐がった子どもの頃。母の歌で恐怖がぬぐわれた雨の日―。
 ある日突然行方不明になり、カラオケボックスで十六時間も歌い続けるお父ちゃんをお母ちゃんは街の端まで一気に走り、一発殴って正気に返らせた。僕の「なぜ」にお父ちゃんは「わからないことしちゃうんだ人間は」って答えた。
 大人たちも「なぜ」を「子供時代の自分」を抱えたままで生きている。おかしさも哀しみもないまぜにして。そしてダメな大人の何と弱くて強くて愛しくて人間的なことか。立派といわれる大人がもしかしたらいちばん子どもの内面を傷つけているのではないか。
 たかしが逆上りのテストに合格し、失敗しても練習を続ける頑張りやのトモコに対する心のドキンの意味を知り、いっぱいの「なぜ」を抱えて大人へと少しだけ歩き出して物語は終わっている。(高田 功子
読書会てつぼう:発行 1999/01/28