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「単純素朴さの中の繊細さ」というのは、この絵本が一九七一年ボロニア国際絵本展のグラフィック賞を受賞した時の選評ですが、これはこの作家の特徴をいいあてているといえるでしょう。作者の『なつのあさ』で、この絵本の舞台の空気の、気そのものを絵と文によって象徴しようと試みています。 内容は、夏の朝少年がなにものかに招かれてでもいるように、自転車で緑の野原を駆け丘の上をめざして登っていく、「まにあったかな」といいながら腰をおろすと、丘のふもとをいつものあの汽車がやってくる、喜びと満足感にあるれた少年が家に帰るまでの心象が、目の前の景色となって展開する、という単純な筋立てです。 けれども読者がこの単純さの奥にあるものを自由に受けとめるならば、それは生きた象徴となるでしょう。象徴が生きるためにはどうしても自由がなければなりません。こう読むべきだと決められると、単なるたとえ話になってしまうからです。この絵本には、隠された何かが待っているにちがいありません。 春夏秋冬、自家用車といえば自転車であるぼくにとって、絵本の中で自転車で走る主人公に出会うと、いいようのない親近感を覚える。たしか『ティッチ』という絵本にも、自転車で走る場面があったが、どこまでもどこまでもペダルを踏みづづける感じではなかった。そこへいくと、『なつのあさ』は違う。汽車を見るために、少年がどこまでもペダルを踏む。一日の暑さは、まだ四方に身をひそめている。やがてはじまろうとする白い一日が、草むらや道や山かげや空に、出番を待って呼吸している。子どもの頃、そんなふうな時刻に、そんなふうにして自転車で走った記憶はない。しかし、この一冊の絵本を眺めていると、たしかに、そんなふうな時間を持ったように思えてくる。ぼくらは、そうしたかったし、そうしようとしたんだな……と思えてくる。谷内こうたは、そういうぼくらの中の息づきに、この一冊でも、みごとな形を与えている。(上野瞭) |
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