夏の日はまたくる

マリリン・サックス

長谷川澄訳 大日本図書

           
         
         
         
         
         
         
     
 ナチスによるユダヤ人迫害は、『アンネの日記』をはじめ多くの文学作品のテーマとなってきた。この作品も例外ではない。しかし本書は、ナチスの魔の手が及ぶのを恐れて戦々恐々としているユダヤ人の話でもなければ、強制収容所での拷問や虐殺などのナチスの残忍な非人道的行為を克明に記したものでもない。この物語ではユダヤ人狩りは終盤になって初めて語られ、しかも少なくとも主人公にとっては恐れる暇もない程あまりにも突然我が身にふりかかるのである。作品の大半はむしろそれまでの主人公らの苦労がないとは言えないが、家族揃ってのまずまず平穏で幸せな日常生活の描写に費やされている。しかしそれまでの生活が幸せであればあるほど、その幸福を破壊したナチスの非情さや、家族を皆ナチスに捕られてしまい一人残された主人公の孤独と不安は一層浮き彫りにされる。
舞台はフランスのエクスバレン。時代は一九三八年五月から一九四四年二月までの五年九ヶ月間。主に第二次世界大戦中である。構成は、物語中の時間の中では最も現在に近い一九四四年二月」と題する第二章で、語り手であり主人公であるまもなく十四歳になるユダヤ人の少女ニコルの現況が語られる。ナチスに連れ去られた両親と妹の居所はわからず、彼女自身は学校の先生にかくまわれて学校の寄宿寮に身を寄せている。努めて明るく振るまっているが、時時耐えられない程淋しく、毎晩家族の夢を見て寝入る。第2章から終章までは「一九三八年二月」から「一九四三年二月」までのことが時間を追って回想形式で語られる。ニコルと妹は、ニコルが八歳、妹が四歳の時までデュランさん夫婦に育てられた。露店商をしていた両親の生活は苦しく、子供を手元に置いて育てるる余裕がなかったからだ。デュランさん夫婦は厳格だが親切な人で、ニコルらを我が子同様にかわいがってくれた。ニコルも少しも不幸だとは思わなかった.しかし六歳頃からニコルが両親と一緒に暮らしたがったため、その後しばらくしてから小さなアパートでの親子四人の、 決して豊かではないが楽しい生活が始まった。ニコルには新しい友人ができ、生活は順調に進んだ。が、やがて戦争が始まり父は招集された。初めのうちは父から手紙もきたが、フランスは負け、連絡は途絶えた。父の安否は大いに気遺われたが、約二ヶ月後父は負傷して帰ってきた。やがてエクスバレンにドイツ軍が侵入し、人々は家を追い立てられた。ある晩ニコルは、翌朝スイスへ逃げ出す予定のニダヤ人の親友の家に泊まり、翌日帰宅してみると、家の中は荒らされていて両親と妹の姿はない。家主の話では、昨夜遅くドイツ人が来てユダヤ人を皆連れて行ってしまったのだという。またニコルもここにいては危険なので逃げなくてはいけないともいわれた。ニコルはとっさにべッドの上に投げ出されていたアルバムだけつかんで逃げ、二晩はデュランさんの所に泊めてもらった。が、そこも危険だから他の所へいくように言われた。アパートへ戻ったが、家主に断られた。行く所がない。心当たりは全部当たってみたが、留守か、ニダヤ人をかくまうのを嫌い断られた。仕方なく学校の玄関で寒さに震えながら夜を明かした。そして翌朝ルグラン先生に助けられ、寄宿舎にかくまわれることになった。し かし弧独感は日ごとに増し、たとえ強制収容所に入れられるとしても、家族と一緒になるために、自分からドイツ軍の所へ出向いてやろうと決心したちょうどその日。絶対に捕まってはいけない、という母からの伝言をある人から聞いた。今はそれをを心の支えに、戦争が終わり、両親と妹が帰ってくるのを待っている。アパートから持ち出した唯一の品であるアルバムの中の、戦争前に家族全員で写した幸せそうな写真を見ては、 楽しかったあの夏の日はきっとまたくると信じて…。物語の時間的な流れは、この後初章につながる。
作者の主張は明確だ。妻を亡くし、子供は行方不明とい自身でありながら、映画を見て笑っているボネさんを無神経だと批判するニコルに母親は次のように諭す。
「・・・あの人は、ほんとうに悲しい思いをしているのよ。でも、いつかはきっと子どもさんが見つかるという望みを持っているの。あの人は、まったこなにもかもなくしてしまったけれど、人間はね、希望をもっているかきり、どんなひどい状態でも生きていくことができるのよ。」
この時は分からなかった人間の心に沈む深い悲しみというものが、今のニコルには分かる。そしてその悲しみに耐え、希望を持って生きていこうとする勇気の大切さも。
生きている限り希望を持ち続けること-それは戦争やユダヤ人狩りのような特殊な状況下にいる人間だけでなく、全ての人々が常に心に銘記しておかなければならないことではあるまいか。 (南部英子)
図書新聞 1989/01/01