年末だからドカーンと五冊


           
         
         
         
         
         
         
     
 本誌は季刊だから三ヶ月ごとに刊行される。なのに、毎回一冊しか新刊書が紹介されないのは寂しいという読者の声をいただいた。なるほどと思うのだが、朝日新聞の「子どもの本棚」みたいな細切れの本の紹介ではつまらない。いまどき、ゆったりと新刊を書評できる場が少ないから、これはこれで意味があるのではないかと言い張ってみたものの、子どもの本の情報が予想外に少ない現状を考えると、年に一度くらい何冊か取り上げるのもいいのではないかと思い返した。というわけで今回は年末特集として五冊をご案内。
 いつかは必ずと危惧されていた原発事故がついに起こり、たくさんの人が被害を受けた。ちょうどその頃、岡田貴久子の『K&P』(理論社)を読んだ。ビキニ環礁でのアメリカの核実験によって堆積した放射能が、近隣の島の人々の命や生活を奪い、人類の未来にまで悪果を及ぼす恐怖を、日系二世の少年を主人公に神話的なスケールで幻想的に描き出した意欲作である。「化物が棲む」とか「息をしただけで死ぬ」といわれ、封鎖海域になっている“死の島"へ、大好きだった祖父の遺品を埋めに向かった少年が出会う数奇な冒険は、さながら池澤夏樹の『マシアスギリの失脚』を思わせる舞台装置と道具立てで、近未来に及ぶ核の恐怖を怪しげに浮かび上がらせる。
 原発銀座ともいわれる若狭を舞台に、日本神話に登場するキャラクターを配して、人類滅亡の手段として原発を利用しようとする勢力と、それを阻止しようとするあもう天羽少年ともんじゅあや門主文という少女との熾烈な闘いを展開する永久保貴一のマンガ『若狭鬼人戦記 くりから倶利伽藍もんもん』(ボニータコミックス 秋田書店)は、まだ五巻までしか刊行されていないが目を離せない。復活すると人類が滅亡するという「日本書紀」に登場するつぬがあらしと都怒我阿羅斯等。彼を現代に蘇らせようとする八岐大蛇は、高速増殖炉「みろく」を占拠し、敦賀第一原発を爆発させてしまう。はたして放射能は食い止められるのか。原発仕組みやその危険性をわかりやすく解説する作者の知識にも感服するが、神話世界の闘いに現代の原発の危険性を重ね合わせて物語りを展開する構想力がまた凄い。
 原発はもちろんだが、酸性雨による自然破壊も未来を暗くする。ノンフィクション作家、吉岡忍の『月のナイフ』(理論社)は、地球を覆う酸性雨の脅威を寓話的に描いた作品を導入部に置き、中学生の浮浪者襲撃、小学校の飼育小屋のウサギの皆殺し、いじめ自殺を取り繕う学校での嘘で塗り固められた一日、中学生の相次ぐナイフ事件から派生したナイフ狩りなど、今日の子どもたちに関わる様々な事件を素材にした短編集。子どもは純粋で未来は子どものものだなどという大人の言葉に敵意さえ覚え、大人だからって世界を判っているわけはないと見抜く子どもたちの、この時代に対する呪詛にも似た危うい感受性を幻想と現実のあわいに鋭く屹立させてみせ見事だ。「理解とは、その対象を支配したいという欲望にすぎない」という言葉にはハッとさせられる。
 長崎夏海『だいあもんど』(新日本出版社)は、学校でのいじめや仲間はずれの鬱陶しさを弾き返すような元気な女の子が主人公。ムカツク、キレルなどという荒っぽい言葉を投げ合い、クラスの少数派だけど、お互いにバトルを楽しむ元気でしたたかな子どもたちの日常を描いて爽快だ。スーパーのエスカレーターで逆上り競争したり、洋服売り場で隠れんぼしたり、雑誌に火を付けて焚き火をしたりと、いささか脱線気味のエネルギッシュな子どもたちを見つめる作者の眼差しがいい。
 クライン孝子『甘やかされすぎるこどもたち 日本人とドイツ人の生き方』(ポプラ社)は、三十年間ドイツに住んでいるジャーナリストの著者が、日独両国の子どもの生活の違いを様々な観点から語ってみせる。書名や親の威厳の強調しすぎにはいささか気になる部分があるが、受験が無く入りたい学校に行けるとか、十歳から三コースに分かれる教育制度や学校生活の違いとか、教えられる点が少なくない。日本の現状を考える上でも、こういった国際間の比較からヒントが見つかるかもしれない。(野上暁)
子ども+ [ウルトラ書店] 1999/12