二度とそのことはいうな?

バルバラ・ゲールツ

酒寄進一訳

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 第二次世界大戦勃発後五十年を迎える本年、日本と同様に敗戦国となったドイツの戦争児童文学がまた一つ邦訳された。
 舞台は第二次世界大戦中のベルリン。第二次大戦そのものはご存じのとおり、一九三九年九月のドイツ軍のポーランド侵攻によって始まり、ヨーロッパの戦いも一九四五年五月のベルリン陥落まで続くのだが、作品で扱われているのは、イギリス軍によるベルリン初空襲のあった一九四0年九月から、ドイツ軍がスターリングラード(現在のポルコ゜グラード)でソ連軍との攻防戦に破れ、ドイツの年が次々に空襲で破壊され始めた一九四三年十一月までである。
 物語はベルリン郊外の住宅地に住むドイツ人の少女ハンナが戦時下で経験する様々なつらい出来事を通して、当時ドイツを牛耳っていたナチス独裁政権を改めて批判している。まずハンナの親友ルートは、母親がユダヤ人であるために、近所の人から有形無形の差別やいやがらせを受け、一家はそれに耐えきれず一家心中してしまう。また幼なじみで家族ぐるみの交際をしていた初恋の相手エリクは、東部戦線で戦死する。密かに反ナチス組織にかかわっていた父親は、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)に連行されて死刑に処せられた。さらに「勤労奉仕」という名の強制労働に駆り出された兄ハンネスは、充分な治療を受けさせてもらえないまま中耳炎をこじらせて死亡。それと時を同じくして母親は兄の見舞い先でしょうこう熱で倒れた。幸いにして母親は快復したが、その後のベルリン大空襲で家も母の会社も破壊され、ついにハンナは母と共に戦火を避けて、バルト海沿岸の小さな村に疎開する。
 作者のいうとおり、これはまったくの創作ではあるまい。それどころか、作者がハンナの住むリヒランラーデに生まれ、ハンナ同様一九四三年末に母親と、ハンナと同じシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州に疎開していたことを思うと、この作品のかなりの部分は史実と作者の体験に基づいていると容易に想像される。(実は作者自身も「これはわたし自身の子ども時代の話なのです。」と語っているのだ。)  そしてそのような想像をめぐらし、これほど恐ろしく悲しいことが当時のドイツで実際に行われていたことを思うと時、改めて激しい怒りと恐怖を感じないではいられない。ナチスの非人道的行為やユダヤ人大虐殺はあまりにも有名だが、私にとって新たな驚きであったのは、ナチスは反ナチ活動家のなどの処刑費用を、最愛の人を亡くしたその遺族に支払わせていたということである。作品中でも、ハンナの父親の諸経費用の請求書が、刑の執行後悲嘆にそれる遺族の元に届き、ハンナと兄はナチスの卑劣さと残酷さに改めて憤慨する。
 この作品においてハンナらの敵は、イギリスやソ連などの敵国ではない。ハンナを苦しめるのは、祖国で独裁政権をふるうナチスである。ユダヤ人を迫害し、人々から自由と冷静な判断力を奪い、戦争を起こしたナチスのために、彼女は親友、恋人、肉親そして家と次々に大切なものを失っていったのだ。このナチスの非人道的な行為の告発、これこそ作者が訴えたかったことであり、この作品を、単に戦争の恐ろしさや人間同士が互いに殺し合うことのむなしさを訴える他の多くの戦争児童文学作品と趣を異にさせている。
 では戦後三十年もたち(原作は一九七五年)、国の建て直しも十分に行われた頃になって、なぜドイツでは自国の恥をさらすようなこの作品が書かれたのか。ここで書名『二度とそのことはいうな?』の最後の「?」に注目してほしい。これは造語の「?」である。戦争の傷跡が次第に癒え、人々の記憶から戦争の思い出やナチスへの憎しみが薄れてきた今となっては、昔の嫌なこと、醜いことはあえて思い出したくない、と考える人も多いだろう。しかし作者はそうは考えない。人々の記憶が薄れ、戦争体験のない世代が多くなってきているからこそ、作者はあえてここで過去の事実を事実として若者に伝えようとしているのだ。同じ過ちを二度と繰り返さないために。「臭いものに蓋」式のあいまいさを嫌う作者の強い姿勢がこの「?」から感じられる。
 日本においても昭和天皇のご逝去に際し、天皇の戦争責任問題が一部では取り沙汰された。しかし「死者にむち打つなかれ」式の日本人特有のあいまいさで、その議論も煮詰められずに終わってしまった感がある。また文部省が最近発表した新指導要領では、式典の際の日の丸掲揚が再び義務づけられた。私はこの場で天皇の戦争責任問題や日の丸のことを云々するつもりはない。しかし過去の過ちを過ちとして認識し、しっかり後生に伝えていくことが我々の使命であり、その意味でこの作品の邦訳の意味は大きいと思うのだ。(南部英子
図書新聞1989/05/20

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