人魚姫


エドマンド・デュラック絵

子どもの本だより5/28号
「絵本、昔も、今も・・・、」1998/11,12


           
         
         
         
         
         
         
     
 エドマンド・デュラック(一八八二〜一九五三)は、かのアーサー・ラッカムとともに、ヴィクトリア時代を代表する挿絵画家。どこか東洋的な雰囲気を持つデュラックの絵は、ラッカムに負けず劣らず細かい線と、ふんだんに使われたにじみで、人気を二分する存
在でした。ともにカラー・オフセットの写真よる印刷技術が生んだ時代の寵児と言えます。
 この人、実はフランス生まれ。織物商の家に生まれ、法律家か外交官になろうとトゥールーズ大学で法律を学びます。一方で美術にも興味を持ち、後にトゥールーズ美術専門学校に通う傍ら、奨学金をもらってパリのアカデミー・ジュリァンで絵画を学んだと言いま
すから、天が二物を与え賜うた存在だったようです。
 処女作は、イギリスの出版社から出された『アラビアン・ナイツ』(一九○七)。つづいて、『嵐』『眠れる森の美女』とヒットを飛ばし、この『人魚姫』を含めた『アンデルセン童話集』が出版された一九二一年、彼は仕事の本拠地イギリスに帰化します。
 それらデュラックの本は、ラッカム同様、豪華なギフトブック。ですから、子どもたちが日ごろから手にとって親しむという類のものではありませんでした。分厚い本文の合間合間に、表面がつるつるしたアート紙に印刷された美しい挿絵が、まるで宝石をちりばめ
るように貼られた形式の本。価格的にも大層高価なギフトブックは、当然のことながら子ども部屋ではなく、大人たちの優雅な書斎や、賓客もてなす応接室に、格調高く美しく飾られました。
 イギリスの画家、ウィリアムフィーヴァー曰く、ド・モンヴエルやビリービンの本に比べると、これらギフトブックは「総花的顔見世」で、「実質よりは見せかけの部分が多」く、「踊り子イサドラダンカンまがいの妖精に満ち満ちていた。(『こんな絵本があった』(一九七八))
と。これまた随分と口の悪い言いようですが、いいところを衝いています。
 とは言え、デュラックの、当時流行のジャポニズムとその影響を受けたアール・ヌーヴォーのくねくねした線、ぺルシャの細密画を思わせる装飾的な画面作りは、エキゾチックなムードを放ち、かの時代に、人々の人気を得るに値する魅力を持っていたことは事実。彼の仕事は、イギリスの絵本作家エロール・ル・カイン辺りに引き継がれます。
 美しい舞台設定とファッショナブルな主人公、加えて脇を固める脇役たちの時にグロテスクにも見える個性的な描写(『二人魚姫』では姫の年老いた祖母が然り)。サービス精神旺盛な絵造りこそが、デュラックの魅力です。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより5/28号「絵本、昔も、今も・・・、」1998/11,12