西の魔女が死んだ

梨木香歩
小学館出版

           
         
         
         
         
         
         
     
 題名はファンタジ−を想像させるが、リアリズムの作品である。不登校と四つに組んだ作品という目だけで読むと、少し肩透かしをくらう。しかし、繊細でしなやかな文章の中に、どんな状況の人をも対象にじっくりと話しかけ抱きしめてくれる作品という感を受けた。老人に存在感をもたせ、今、社会で評価されていない力に光をあてている。そして、人間を信頼することによる良い面が、クローズアップされる。今の社会現象といえる多忙な大人、そして意志のままにすごせない子どもが多い中で、表面に見えない孤独や自分を見失うさみしさが少なからず経験されているようである。かねがね切り札は老人の力である、と思っていた折りに出会った作品なので意を強くした。
 では作品にそって、見ていくことにする。主人公まいが求めていた配慮をおばあちゃんに感じた時、「おばあちゃん大好き」とつぶやく。おばあちゃんは「アイ・ノウ」とうけとめ、人格を認めた口調で話しかけ、対話をして相手に決めさせていく。ましてや今、不登校という波瀾をおこしている真っ最中に。こういう行動がとれるのは、人生を見渡してきた老人と称される人の中にこそいるだろうそしてここに登場するおばあちゃんは、抱いて包み込むだけではない。まいが混乱したり、不信をもったり、恐怖を感じる時に、一縷の肩透かしもなく受けて立つのだ。こういう大人が子どものまわりに、いや大人同志の間にも少なくなってきているのではないだろうか。子どもは今過保護を体験し、一方では人間的な接触に欠けるという点で、強い拒否を体験している。逃げていく場所としてのおばあちゃんなど、求めていない。自分の意志をしっかり持ち確固として生きている大人に、体当たりし確かな感覚がほしいのだ。周囲にそういう大人がいない読者も、この本で体験できるだろう。
 登場するあばあちゃんは、共働きに否定的な意見をもっている。母親は共働きへの、強い意志をもっている。しかし一度退職して、単身赴任している夫の元へ娘とともに引っ越していく。母が再就職することにかかわらず、まいは登校をはじめる。いろんな立場の葛藤をおりまぜながら、そんなところにギクシャクとこだわらない大人達が、とってもさわやかである。子どもの周辺にいる大人達に、第一読者になってもらいたいと思うのだ。
 作者である梨木さんは、小さい頃「秘密の花園」がすきだったというだけあって、庭をよく登場させている。この作品にも裏山がたっぷり出てくる。梨木さんは「庭とは──一番変容し、育ち、衰退する所。言葉で自分を追い詰めることのない所。──だから大切な所」と語っている。この作品を読むうちに、私の幼い頃の体験や気持ちがあざやかに甦ってきた。私は裏の畑や里山でよくすごし、柿の木の上を居場所にしていた時期があった。農業をする祖父についてまわり、自分だけの小さい小屋を建ててくれと迫った。この作品の中でまいが、庭の中で自分が選んだ好きな場所をもらう。その時の表現は「まいの魂は一瞬にして現し身を抜け、庭や山を風のように駆け巡った」となっている。私は共感だけでなく、誰もわかってくれなかった幼い頃の自分の気持ちに拍手を贈ってしまった。土こそは死と再生の現象が行われる母胎であるということが、サブテ−マのように作品の底辺に流れている。そして、生活に身近な自然とそれをとり入れる作業が、一つの命が求められていることを証明していくのである。(家野未知代)
「たんぽぽ」16号1999/05/01