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小二の「ぼく」とさとしは、同じマンションに住む幼稚園のころからの仲よし。この二人が、ふとしたことから、「きちょうなたいけんノート」を作る。「すごーくとくべつなできごととか、心にジーンとのこるようなじけん」とかをそれぞれのノートにつけ、週に一度見せっこするのである。 パパのまねをして生卵を一息にのんだら、卵が丸のままおなかに落ちていく感じがして、ウンコも卵のままでてくるかと楽しみにしていたけど、ふつうだった−−なるほどこれもまた七歳の少年には「貴重な体験」だろう。 いや、子どもにとって、失敗だろうが、心配ごとだろうが、いたずらだろうが、貴重でない体験などひとつもない。ほほえましいエピソードの連続に、ついそんなことを考えていると、後半に作者はシリアスな問題を用意していた。さとしの妹のひとみは、ことばの発達が遅れていて、その原因は耳が悪いからだ、ということがわかる。ひとみはお母さんと「きこえの教室」に通うようになる。 七夕の夜、二人は夜空に向かって、「ひとみの耳をなおしてください」と叫ぶ。すると突然の流れ星が! 二人の願いは聞き入れられる。耳がなおったわけではないが、少年たちは彼らなりに妹の「障害」をのりこえる。いい感じの終わり方だ。(斎藤次郎)
産経新聞 1996/11/15
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