のはらひめ


中川千尋作

徳間書店 1996

           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 お姫様と王子様に関する物語の多くには、パターンがあります。何らかの危機にあるお姫様が王子様(たぶん、白馬に乗っているのでしょう)に救い出させるというやつ。それは、「白雪姫」や「眠り姫」から、TVゲームのマリオシリーズにまで踏襲されています(もっとも、マリオの場合は白馬の王子様じゃなくてイタリヤ系の配管工ですが)。
 こうした物語が繰り返し現れるのは、女とはどういう存在で、男はどういう存在なのかを、社会が私たちに学習させようとしているからで、もちろんこのパターンは性差別的。何しろ、個々の生き方を、性別だけで分けてしまおうというのですから。
 そんな物語たちへの異議申し立てとして、近年様々な試みがなされています。賢くて勇気のあるお姫様「アリーテ姫の冒険」(学陽書房)などは日本でもベストセラーになったのでご存じの方も多いでしょう。もっとも「アリーテ」は逆パターンを描くのに性急なあまり物語としておもしろいとは言えないのですが(新しい風を起こすとき、最初ってついつい力が入ってしまうものですからね)。
 新しい世代の作品「のはらひめ」には、そんな力は入っていないし、異議申し立てを全面に押し出してもいない。かわいい絵本がそこにあるだけです。
 「おひめさまになりたい、世界中の女の子にささげます」。
 表紙に書かれた作者からのメッセージにある通りに話はスタートします。主人公の女の子まこは、おひめさまになりたい。あるときお城から迎えがきて、あなたこそおひめさまになるべき方ですと言われます。喜んで馬車に乗り込むまこ。お城では本物のおひめさまになるための勉強が待っていました。大声で笑わない訓練。丁寧にしゃべる訓練。二十枚重ねたフトンの下に豆があるかどうか分かるための訓練。ガラスの靴をはいて歩く訓練。 修行が終わり、白雪姫でも眠り姫でも、どんなおひめさまにもなれる資格ができたとき、まこが選ぶのは「のはらひめ」。お城にくる前の、のはらで遊んでいた自分自身です。
 こうして物語は、おひめさま(女)は作られるのだということを自然に伝え、おひめさま(女)らしくあることより自分らしくあることの方が素敵なんだと、読者に語りかけるのですね。(ひこ・田中


げきじょう 43号 1996 秋