ぬすまれた湖

ジョーン・エイキン

大橋善恵訳 冨山房 1989


           
         
         
         
         
         
         
     
イギリスの本格派のファンタジー作家ジョーン・エイキンの『ウイロビー・チェースのおおかみ』に始まり、『バターシー城の悪者たち』、『ナンタケットの夜鳥』と続く一連の長編ファンタジーの一つが久しぶりに邦訳された。このシリーズではこの他すでに『かっこうの木』が同じ訳者によって邦訳されており、これらの四作は原作の発行も確かに今回邦訳された作品より早い。しかし物語の中での時間的な順序から言うと、この作品は『ナンタケットの夜鳥』と『かっこうの木』の間に位置するものである。つまり『バ夕ーシー城の悪者たち』から登場し、『ナン夕ケットの夜鳥』の終わりでなつかしいイギリスに向けて出帆した勇敢な少女夕イドー・トワイトが、『かっこうの木』の冒頭で到着したイギリスの港から陸路の旅を始めるまでに、その航海の途上いかなる冒険をしたかが語られているのが本書である。これらの五作はまとめて読めば壮大な歴史ファンタジーとしてかなりの読みごたえがあるが、単独で読んでもそれぞれ十分楽しめる作品である。
物語は主人公夕イドーらを乗せた船スラッシュ号がイギリスに向けて航海している場面から始まる。この船には、栄転した前館長の後任のヒューズ艦長やその下士官のホーリストーンらが新たに乗り込んでいる。ある時艦長は、ロマン・アメリカのニュー・カンブリア王国の助けを求めている女王を救いに向かうようにとの英国海軍からの指令を受ける。そこで彼らは進路を変更しニュー・カンブリアに向かう。また女王は若い女性を大変好むようなので、艦長はダイドーを女王訪問に同行させることにする。こうして女イドーのカンブリア訪問の旅は始まるのだが、それはやたらに多い迷子の看板、ダ女イドー自身の誘拐と脱出、人間が人間を獲物として追いかける姿、そして追いつめられて川へ飛び込んだ人間が一瞬のうちに人食い魚に骨だけにされてしまう事実など、恐怖と不安と不愉快きわまりない事件の連続であった。そしてそのきわめつけは、夫アーサーの帰還だけを待ちわびて、多くの少女の骨を滋養として、ぶくぶく太ってニニ○○年も生き長らえているカンブリアのグウイネピア女王の醜悪な姿であった。しかしダイドーらの旅は女王との 対面で終わるのではない。そもそも彼女らが女王の所に出向いたのは、女王を窮状から救うためであり、女王の窮状とは、自国の領地内の湖が盗まれたので、それをとりもどしてほしいということであった。ダイドーらはこの後女王の湖をとりもどすべく、そして湖盗難の原因となり、偶然ダイドーが幽閉されているのを知っていた隣国リオネッセのエレン王女を救出すべく旅立つのだが、そこのも様々な困難が待ち受けているのだ。
作品の魅力は何と言っても、スリルと緊張感に満ち、読者の好奇心をゆさぶり続ける筋運びである。物語の最初から何とも言えない不気味さが作品世界を満たし、女王の願いが何なのか、女王が若い女性を好むとはどういう意味なのか、といった疑問というよりは不安を抱きながら、読者は好奇心にそそられて先をどんどん読み進める。そしてどんどん読み進んでいくと、様々な伏線が次々と明らかになり、まるで推理小説を読む時のような謎解きのおもしろさも味わえる。しかも単なる推理小説にはないファンタジーの要素もあり楽しい。例えば湖を凍らせて氷として持ち運んだり、山の上昇気流を利用して風船をいくつも飛ばして湖の水を返したりするのは、非常にファンタステイックだ。
またアーサー王伝説を巧みに利用し、現代のファンタジーの中によみがえらせた功績も評価できる。イングランド生まれではあるが、アメリカ人の父(詩人ララッド・エイキン)とカナダ人の母を持つ作者は、本来の意味ではイギリス人ではない。(作者が生まれた時、両親がアメリカ大使館に登録し忘れたため、作者はイギリス国籍を有してはいる。)しかしイギリス的特質を常に豊かに持った作者は、イギリスで昔から語り継がれ、人々の憧れとなっていたアーサー王を作品の中でよみがえらせ、帰還させることにより、人々の夢を空想の世界でかなえているとも言える。またアーサー王と円卓の騎士の話になじみの薄い日本の読者も、これを機会にアーサー王伝説やその他の異国の伝説や昔話に興味が持てれば、それもこの作品の価値である。
最後に、五作の一連の作品は、実際の歴史の中に空想の一時代を築き、その中で奇想天外な物語を進行させる、いわゆる歴史ファンタジーの手法が用いられているが、この作品は、古代ブリトン人が、サクソン人に国を侵略された時、もし南米へ移住していたらどうなっていただろうか、と想定して書かれた作品であることを付け加えておきたい。(南部英子
図書新聞1990/03/03