バーティーとなかよしゆうれい

キャサリン・セフトン

掛川恭子訳 国土社 1987

           
         
         
         
         
         
         
     
 自分を守ってくれる強い味方が欲しい-これは人間がいくつになっても持っている願いである。本書はこの願いを見事に叶えてくれる、子どもにばかりでなく大人にも楽しい作品である。特に兄や姉に頭が上がらない子どもたちは思わず万歳を叫びたくなるに違いない。幽霊が味方となって主人公を助けてくれる物語といえば、ネストリンガーの『みんなの幽霊ローザ』がある。こちらは主人公がこわがりやの十一歳の少女で、守護幽霊となるのがナチスに対抗した正義感溢れるおばさん幽霊であるが、本書では主人公は八歳の少年で幽霊は気取りやのおじさま幽霊である。バーテイーは小学二年生で三人兄弟の末っ子。いつも兄のマックスと姉のエルシーにばかにされいじめられている。頼みにするお母さんもバーテイーの相手になってばかりはいられない。ある日、バーティーは石炭置場の小屋で幽霊に出会い、その幽霊に自分の親友になってもらう。以下、本書の楽しさの秘訣を探ってみよう。
本書の楽しさは親しみやすさとおかしさから成っている。親しみやすさの第一の要素は身近で生き生きした登場人物である。いつもやっつけられているバーテイーにしても弱虫なばかりではなく、自分の作った砂のお城を自慢しマックスをけなしたり、マックスがサン夕クロ -スに望遠鏡をもらえたのは自分のおかげだとマックスに恩を きせたりちゃんと自己主張もする。隙あればバーティーの玩具を取り上げようとしバーティーをいじめるマックスや、三人の子どもの世話に追われるお母さんも現実味に溢れている。また幽霊は騒々しさを嫌いナイチンゲールを友とする気取りやなのだが、バーティーの親友たらんと努力するところには温かさが感じられ、読書の子どもたちもすぐに気に入るであろう。
第二の要素は題材の親しみやすさである。本書は全六編から成っているが、各編とも買物、遊園地、誕生日、クリスマスなど子どもたちの身近で取りつきやすい題材が扱われている。第三の要素は各編の展開の仕方である。いずれも幼年文学に必須のハッピーエンドの型になっている。置物でバーティーは欲しかったブランデーボンボンを買ってもらえたし、幽霊を引きずったまま飛んでいってしまった誕生日プレゼントのたこはその日の終わりには戻ってきたし、クリスマスにはバーテイーは念願の自転車をもらえた。クリスマスプレゼントは自転車の他に、お母さんがとうとう「バ -ティーのゆうれい」を信じたおまけつきでもあった。子ども たちは各編のハッピーエンドに大喜びするばかりでなく、それに至るまでの不安や悲しみなどもバーテイーと共に感じるだろう。特にたこと一緒に大事な幽霊までいなくなってしまったと、御馳走も食べずに幽霊が戻ってきてくれるようにと願ってハースデーケーキのろうそくを消すバーティーの姿は胸に迫るだろう。
本書の六編は一編毎に一完結しているがばらばらではない。各編がお母さんが徐々にバーティーの幽霊を信じていく過程ともなっていて、最後の「ゆうれいとクリスマスでこちらの話もハッピーエンドとなるのである。少し大きな読者にはお母さんが幽霊を信じるこのハッピ- エンドも楽しめるだろう。
次におかしさに移ろう。第一は幽霊そのものの持つおかしさである。おしゃれなくせに石炭置場に住んでいる。幽霊の癖にこわがりやで遊園地のゆうれい電車に乗って震えあがる。また大人の幽霊なのに親友であろうとして張り切ってバーティーと砂のお城を作ったり、買物のワゴンに乗ったりする。
第二の幽霊と幽霊を信じようとしない人間の関わりからくるおかしさである。これはお母さんが幽霊を信じるようになる話とも関連して、大部分がお母さんの反応である。買物のワゴンに入っていたごフラデーボンボンがバーテイーの仕業ではないと分かって真青になったり、ゆうれい電車をこわがらないバーテイーに戸惑ったり、なくなったはずのたこが独りで戻ってきたのを見てびっくりしたり驚きの連続である。
本書のさし絵は日本で入れたものであるが、バーティーの表情やおじさま幽霊の雰囲気をよく伝えていて、これも楽しさの一つである。
幼年文学ということからバーティーと一体化して物語を読む子どもたちにとっての楽しさを探ってきたが、本書には大人にとっての楽しさも含まれる。亭主族への皮肉である。バーティーのお母さんは家族の世話に忙しいが、時々は反乱も起こす。夏休みの初めに家族をおいて一人で出かけてしまったり、海岸で何も手伝わないお父さんに腹を立て食事の後片づけをおしつけたのする。著書のキャサリン・セフトンは実はマーチン・ワドルという男性で、アイルランドの自然に政治・宗教などをからめた重い作品を書いている作家だが、子どもの気持ちを理解すると共に女性の気持ちも理解するフェミニストなのではないだろうか。
確かに本書は楽しい作品だが、幽霊と嬉しそうに遊ぶバーティーの姿やバーティーの願い通りお母さんにも幽霊が見えたところにバーティーの寂しさが感じられ、切なくなったこともひとこと付け加えておきたい。 (森恵子)
図書新聞1988/01/01