バルタザールの遍歴

佐藤亜紀

新潮社

           
         
         
         
         
         
         
     
 最近、気になる文学賞の一つが「日本ファン夕ジー・ノべル大賞」だ。そもそも第一回の受賞作「後宮伝説」がすごかっだ。作者の酒見賢一は大賞受賞後も大活躍で「墨攻」「ピュタゴラスの旅」「聖母の部隊」と楽しい作品を次々に発表している。
さて注目の第三回の大賞が本作だ。荒俣宏、井上ひさし、高橋橘源一郎ら五人の選考委員がそろって太鼓判を押したというだけあってなかなか読ませてくれる。
舞台は世紀末からナチズムが台頭するころまでの欧州。主人公はウイーンの貴族の子孫メルヒオールとバル夕ザールーなのだがこの二人、実は一つの肉体の中に共存していてそのうえ肉体から出入りが自由という設定だ。そして全体が、メルヒオールの手記という形を取っている。
この物語へ女と酒で身を持ち崩し、屋敷を乗っ取られて欧州を放浪していくメルヒオールとバルタザールの遍歴をつづったものだ。いわゆる「ファン夕ジー」という言葉から連想される安ぽさやけばけばしさとは無縁で、使い込まれ、磨き込まれたマホガニーの家具っを思わせるような抑えの効いた文体で語られている。
また、種を明かすわけにはいかないが、作品の中心を走るなぞの仕掛け方も、明かしかたも、伏線の張りかたも、そつなく、さりげなく、実にうまい。
外国を舞台にした小説は得てして浅い、見え透いたものになりがちだが、この物語は十分な奥行きと味わいを持っており、上質なヨーロッパ文学の翻訳物をゆんでいるような気にさえさせれれてしまう。
破天荒で奇想天外な「後宮小説」とは全く違った味わいのこのファン夕ジー、心から拍手をもって迎えたい。(金原瑞人
朝日新聞