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「ぼくはいつのまにか、ひとりで自転車を乗り回すのが好きなぼくに、ひとりでぼんやりしたり、本を読んだりするのが好きなぼくになっていたんだ。それって、暗いかな。」 十歳頃の、まさに自分と向き合い始めた少年の心象風景が、彼の日常生活に紛れ込んだ不思議な話を絡めて詩情豊かに描かれる。 いつもつるんで遊んでいた裕一は、最近ひとりの自分に気づく。周りの子どもたちの悪口に傷ついたりもするが、からかいながらつかず離れずつき合ってくれる親友二人を、前以上に好きだなと感じている。母親はというと、「勉強は?」の一点張りだったのに、「いじめられてるの?」…と口うるさく心配するあたりの描写はとてもリアルだ。 そんな裕一と、河川敷にいつもいる「変人」と噂されるおじいさんとの交流が物語の軸になる。ある日、おじいさんとふと目が合った裕一は「何を見ているのですか」と話しかけたところ、ボソッと返ってきたのは「ここにないもの」。会話がはずむ。昔、石油採掘の技師だったというおじいさんの世界各地の珍しい話は豊かな言葉に溢れて裕一を魅了し、やがておじいさんの家(古い洋館)に招待された彼は、古い大きな柱時計に住みついたてんじくネズミの不思議な話を聞くことになる…。 このてんじくネズミの設定がユニークだ。五十年も前のこと、おじいさん(青年)のところへ瀕死の状態でやって来て、身体は借り物、実は自分はビックバンで残ったむなしさ(思念)だというのである。とぼけた味に哀感をにじませた彼と、堅物の青年との問答は落語のようなおかしさと哲学的な深さがあり、裕一は次第に「ほんとうにあったこと」だと思え、引き込まれていくのだった。 いつしかおじいさんは町を去り、ひとり裕一は河川敷に座っている。「今」を流れる時間の中で、漠然としたむなしさ感から身を離すように「ここにないもの」を見る少年の像が鮮やかに残った。(上村 直美)
読書会てつぼう:発行 1996/09/19
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