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「友だちになるというのは、とても不思議なことだと思う」と、語り手である橋本祐一は考える。変人といわれるおじいさんと河川敷で出会って、なんとなく話をするようになり、友だちとの遊びにも参加しなくなったからだ。 母親はいじめでは、と心配し、姉は自分たちまでが変人扱いを受けることを嫌う。やがて、おじいさんの家を訪ねるようになった祐一は、百五十億光年前の「むなしさという思念」がてんじくネズミの形でワープしておじいさんのところにあらわれ、ともに生活するうちに「関わり」が生じたため、いづらくなって消えたという話をきく。 人はどう生きるかという問題が、小学校四年生を主人公に、ビッグバン、宇宙の膨張と収縮、思念などという言葉を通じて語られる。「これで子どもの文学?」と首をかしげる人もいるだろう。しかし、この作品のメッセージは、本来子どもの文学のものだと思う。子どもの文学は、人間が生きる基本を語るものだからだ。四年生には難解ではという感じは、引き締まった文体によるのかもしれない。だが、この文体は、長い間続いた子どもの本の文体に対する批判にもなっている。このまとまりのよい作品の実験が、多くの子どもたちに通用してくれたらと思う。長新太が新鮮な文体にふさわしい絵を書いている。(神宮輝夫)
産経新聞 1996/07/19
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