ビッケと赤目のバイキング

ルーネル・ヨンソン:作
石渡利康:訳 評論社 1965/1974

           
         
         
         
         
         
         
     
 八世紀から十一世紀頃、スカンジナビア、デンマークの北ゲルマン人は、自らヴァイキングと称し、北海からバルト海、そしてヨーロッパの沿岸を掠奪して荒らしまわり、人々に恐れられた。もともと冒険好きの好戦的人種ではあるが、南への侵略、移動は、そのエネルギーの現れであり、彼らは沿岸都市を掠奪しただけではなく、定着後は、交易を行い、商業活動を展開し、北ヨーロッパの商業発展に大きな影響を与えた。又、土着文化との融合をはかり、征服地の政治や軍事、経済上の支配を推進もしたのである。
 ヴァイキングは、敵に対して常に勇気と知恵を磨き、侮られれば復讐せずにはおかず、容赦なく攻撃する戦士団である。それは彼らの名誉にかかわることなのである。また一面、彼らの持っている豪快な哄笑やユーモアも、その大きな特徴であろう。
『エッダ』や「サガ」は、文学としてのみでなく、北ゲルマン(ノルマン人)の宗教、習俗を伝える史料としても、重要な意味を持っているが、ここに見られる巨人族や神々の姿を、ヴァイキングの誇り高い戦士たちに重ねて見ることができる。逞しく粗野で、現実的でもある彼らが、高い文化を持っていたことは、これら古伝説を語る文学や言葉があり、格調高く、悲劇的な詩をよくしたところにも伺われる。
 北欧の文学については、ほとんど知るところがないのだが、数年前、滞仏中に、ウプサラ大学へ行った時、足をのばして、ガメラ、ウプサラを訪ね、ヴァイキングの崇拝する神であるオーディンやフレイの墓とされる丘陵を、風に吹かれて歩いたり、ヴァイキングの船や、神像を刻んだオーセベリ船や、バーサの船を見たりした。夏の終りというのに、白樺はすっかり黄葉し、りんごはおびただしく地に落ち、霧雨が降っていた。コペンハーゲンでは、四頭の牛に鋤をひかせる女神ゲフィオンの噴水を見た。ゲフィオンはデンマークの守護神とされるが、神話では「一夜のうちに掘りおこしただけの土地を与えよう」と言われると、すぐさま、巨人との間に生んだ四人の息子を牛にかえ、鋤をつけて、スェーデンの土地から、今のコペンのある島(シェーラン島)の分を掘りとって、西へ運んだという。
 巨大な古墳のような丘陵も、ヴァイキングの戦闘用の船も、ゲフィオンの神話も、すべて大きく荒々しく、爛熟した繊細な文化の長い伝統を持つフランスから行った旅行者の目には、殺伐として、荒涼たるものに見えた。そしてその寂しさの底にある、得体の知れない暗い情熱が、奇妙に心をとらえた。
 ビッケを読む前に、私の中にあったイマージュは、およそこんなものだった。
 作者、ルーネル・ヨンソンについても、現代スェーデンの文学についても、全く知らない。テレビで放映された漫画を、一、二度見たような気がする程度。
 第一印象は、奇想天外といったらいいだろうか。ヴァイキングをこんな観点から、笑いのめして、おとぼけに仕立て上げられるのかという驚きであった。しかし、ここにある、全く小細工のないおおどかなユーモアは、やはりこれがノルマンの血なのだと思わせる。
 ビッケは、フラーケ地方のヴァイキングの首領であるハルバルの息子で、荒々しい闘いは嫌い。才智で太刀打ちする。イギリスに遠征したハルバルは、先住のノルウェーのブローレが率いる赤目のヴァイキングに敗けて、捕虜となるが、ビッケが策略で助ける。凱旋したビッケは、その後も、水道管を作ったりして、フラーケの発展に寄与するというのが筋。
 面白いのはその表現で、例えば、赤目というのは、海の潮風のせいなのだが、無敵のハルバルがはじめて敗け戦を喫したのは、フラーケのヴァイキングが、いっせいに赤目をむいてみせた敵方に驚いたせいなのだ。ハルバルだけがびくともしなかったのは、彼が片目で(オーディンを思わせる)、おまけに色盲だったので、敵の赤目がわからなかったという人を喰った表現。
 ビッケは父を救うべく、コケモモの実の汁や、豚の血で染めて、見かけだけは立派で、実はへなへなの武器を作り、武器商に変装して、赤目の陣営へ行き、まんまと敵をだまして、父をとりかえす。偽の剣をつかまされた敵は、それでも、剣が軽いのは自分たちに力があるせいだと思っていたりする。
 ヴァイキングに特有の、物の感じ方がまた面白い。例えば、赤目をやっつけて、彼らに支配されていたイギリス人から感謝され、友情の贈物を貰うのだが、その中で重要なのは、女たちに土産の洗濯なべであり、「贈物を貰って、フラーケのバイキングたちは、村のかじやさんのように金持になった」という。ちなみに、鍛冶屋というのは、ノルマンの火神の仕事でもあり、尊崇をうけている。彼らはたらふく食べると、礼儀としてゲップをし、風呂に入ることは体に悪い、水にはいっていると腐ると信じている。ハルバルとビッケは、帰途、デンマークにいるハルバルの弟ヘルメルを訪ねるが、ヘルメルの妻ヘルガは歓待してくれない。ヘルガへの評価で、皆が一致して非難したのは、主人であるヘルメルを立てないということなのだが、その具体例は、ヘルメルが妻をなぐろうとしたとき、彼女がテーブルを引いたということだった。「こぶしを叩きつけようとしたとき、そこにテーブルがなくなっていたら、いったいどうしたらいいんだ。こぶしの行き場所がないじゃないか」というのが、一番の憤慨のもとなのだ。
 帰国してからのビッケの活躍は、税のとりたて役人をこらしめたり、水道管を作ったりという仕事に見られるように、土地への定着を思わせる。
 フラーケのヴァイキングは、すぐれた船の舵とりである首領のハルバルと、知恵のあるビッケと、忠実な部下スノーレと、そして素晴らしい詩人であり歴史の書き手でもあるウルメを持って、栄えたのだった。
 ビッケシリーズは、『小さいバイキング』の他に『ビッケと空とぶバイキング船』『ビッケとアメリカインディアン』『ビッケと木馬の戦車』などがある。(石澤小枝子
世界児童文学100選(偕成社)
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