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『あのころはフリードリヒがいた』を初めて読んだ時、私は高校生でした。 一九二五年に一週間違いで生まれ、同じアパートで仲のいい幼友達として育った「ぼく」とフリードリヒが、一九四二年、フリードリヒの悲惨な死によって 別れるまでを、ぎりぎりまで感情を抑えた筆で描き出した、重く心に残る物語でした。読み終えて、辛く悲しい気持ちと同時に「もっと知りたい」という気持ちになったのを覚えています。本の中では、「ぼく」の一家がユ ダヤ人であるフリードリヒ達をできるだけ助けようとしたこと、でも最終的に「自分の家族とどちらを取るか」という状況の中、フリードリヒを見殺しにしたことが語られていました。でも、それだけではまだわからない、という気がしました。ユダヤ人への言語を絶する迫害、戦争…「なぜそんなことになったのか」を、もっとはっきり、知りたいと思ったのです。 今年ようやく、続編である「ぼくたちもそこにいた」を日本語で 読むことができ、あの時の問いに対する答えをもらえた、という気がしました。この本では、「ぼく」が八歳の頃から一八歳で兵士となるまでが、ナチスの少年団「ヒトラーユーゲント」と、そこでの二人の友達、ギュン夕ーとハインツとの関わりを中心に描かれています。父親の反対のため、遅れて入団してきたギュン夕ーは、こんな風に言います。「もし自発的にというんだったら、ぼくは決してきみたちの仲間にはならなかった…ただきみがいたからなんだ、ハインツ。きみはしっかりした、信頼のおけるやつだ…ぼくより賢くて、有能だ。友達になりたかった。きみを信頼したんだ。 ハインツのすることがまちがっているはずはないって!」公正で親切で、リーダーの資質を持っているハインツと、正直で 勇気のあるギュンター。そして二人に引かれ行動を共にしていく「ぼく」。二人は強い友情で結ばれ、懸命に生きています。こうした心のつながりを否定することは、はたして可能だったでしょうか。その絆ゆえに、三人が同じ戦場で共に破滅していくラストが、静かに胸に迫ります。「なぜそんなことになったの」という問いに対して、「自分と家族を守るため、仕方なかった」という答えも、心底本当なのだと思います。でも『ぼくたちもそこにいた』は、更に一歩踏み込んで、「わたしは信じていた」「わたしは参加していた…目撃者ではなかった」と、答えてくれています。自分自身の身を切るようにしてこういう答えをする大人の誠実さ、ということを、強く感じた一冊でした。(上村令)
徳間書店 子どもの本だより「児童文学この一冊」1995/7,8
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