|
この世の中で、具体的な形を持った<悪>に出会う時、私たちはどうすればいいのでしょうか? 十一歳の少年ヘンリーが遭遇した<悪>は、一人の人間の姿となって彼にのしかかってきます。 第二次世界大戦の数年後、アメリカの小さな町でのこと。戦後の不況の中で暮らすフレンチ・カナダ系のヘンリー一家。兄は事故で死に、父親はそのショックから立ち直れず、働く母を助けてヘンリーは放課後、近所の食料品店でバイトをしています。その食料品店 の店主ヘアストンが、まるで差別と偏見と邪悪な心の権化のような人物なのでした。 ヘアストンは窓越しに道行く人びとを眺めては「あいつはユダヤ系だ、あいつはアイルランド系だ」とこきおろすばかりか、自分の娘も虐待しています。 一方、ヘンリーは毎朝見かける老人と親しくなりますが、彼はナチス政権によるホロコーストを生き延びてきた人で、心を病みながらも故郷のユダヤの村を、木彫りのすばらしい模型でコツコツと再現する作業をしています。ヘンリーはまったく心ならずも、ヘアストンの奸計にかかり、その模型の村をこっそり打ち壊さねばならない状況に追いこまれます。まさに胸がしめつけられるような心理ドラマ。しかし、最後に和解は訪れ、ヘンリーは主の祈りの最後の言葉「われらを悪より救いたまえ」を唱え、そしてヘアストンのためにも「あの人を許してください」と祈るのでした。 原題の『熊を踊らす調べ』はフローベールの詩からとられ、人の言葉は無力だが、それでも祈り続け、言葉を発し続けることが重要だという意味がこめられています。 コーミエは『チョコレート戦争』などでヤング・アダルト層の圧倒的な支持を受けている作家で、この簡潔な作品も、人間を妥協なく描く彼ならではのものです。(きどのりこ) 『こころの友』1998.07 |
|