ぼくのまんだら

横山佳子/理論社

           
         
         
         
         
         
         
     
 この作品は、弟のぼくの目を通して、自閉症のお兄ちゃんを中心にして描かれています。
 まんだら(曼荼羅)は、密教で説く諸尊の悟りの世界を表現したものです。大日如来を智徳の方面から開示した金剛界と、慈悲の方面から開示した胎蔵界があり、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅の図が描かれています。
 中心には大日如来がいますが、ぼくが書いたまんだら図は、中心に兄ちゃんがいて、ぼくの父さん、母さん、そして、11才年下のぼくが、兄ちゃんに深くかかわっているのです。
 兄ちゃんが生まれた1960年代は自閉症の原因は、両親の性格に問題があったり、育て方が悪いとする心因説が主流でした。冷たい親や、スキンシップをしない親、テレビばかりみせて放任している親などが、自閉症児をつくると言われていたのです。
 そのために、母親たちは、肩身の狭い思いや、計り知れないショックをうけました。
 このような状況は、1943年に最初に自閉症について発表したアメリカのレオ・カナーが、自閉症児の両親には、特有な心理学的な問題があると述べたことから発展したものです。日本では1952年の事例研究が最初の報告でした
1975年頃までは、この様な心因説でしたが、現在では、自閉症は中枢神経系に機能障害があり、それに心理学的な問題が加わっておこるという総合的な考え方がされる様になりました。
 兄ちゃんが4才のある日、母さんは兄ちゃんと一緒にタンポポの綿毛をふいて楽しもうと思いました。でも兄ちゃんは、突然、意味もなく綿毛とは反対の方向へ猛烈な勢いで走り、母さんが危険を感じて、死にものぐるいでおいかけて、止めるまで走り続けます。
 母さんの胸は、はりさけそうでした。
「この子はタンポポを楽しむ心がない。タンポポの綿毛ほども母さんと心が通じあっていない。子どもの心がわからない。母さんの心がわからない。なんて、悲しいことだろう」
 母さんのこの苦しみは、私達に痛いほど伝わってきました。でもつらいけれど、これが事実なのだと認めなければならないのです。認識することによって、兄ちゃんの歩む道が切り開かれるのではないでしょうか。
 1970年代の教育は、自閉症児には閉ざされていました。小学生になった兄ちゃんを受け入れてくれる学校はありません。あちら、こちら捜しまわってやっと、隣りの隣りの区の特殊学級へお客様という条件で通うことができました。でも、学籍がなく、給食、遠足、運動会にも参加させてもらえませんでした。
 ある夏の暑い日、給食が始まるので教室から出ようとした時、兄ちゃんが牛乳をみつけました。
「冷たい牛乳、飲みたいなあ」
 これを聞いた先生は、なんと、兄ちゃんにやらず、見せびらかすように、目の前でゴクゴクとその牛乳を飲みほしたのです。
 人を指導するはずの先生が……。
 そういう行動がまかりとおることに憤りを感じました。そして、それを許す社会は、なんと不幸なことでしょう。
 また、同じ障害を持つ親が
「学校のほかに、行くところはないのかしら」
と言いました。共に支え合って苦労を乗り越えなければならないはずの仲間なのに。仲間だからこそよけいに深く傷ついたと思います。 兄ちゃんが15才のころ、友達が兄ちゃんを見ながら、弟のぼくに言いました。
「おかしな人だね。頭こわれちゃったの」
 ぼくは、素直に答えました。
「そうだよ、へんなんだよ。だけど、それがどうかしたの」
 おかしいものを、おかしいと認めたこの言葉に、母さんは救われたのです。
 このような会話が自然に出来れば素晴らしいと思います。事実に目を向けることに遠慮したり、偽りの優しさで接することは、返って人の心をむしばみます。私達は、何が本当の優しさなのかを真剣に考えなければならないと思いました。
 この家族は、兄ちゃんの将来の事を考えて、トウキョウ山へ引っ越すことにしました。そこは自然に囲まれ、果物や野菜を作って暮すのです。この自然の中で兄ちゃんは、少しずつ成長していきました。しいたけの原木に種駒をうえつけることができ、また、平衡感覚が必要な自転車にも乗ることができるようになりました。両親の忍耐強い、温かい愛情で兄ちゃんは、トウキョウ山で生き生きと暮していました。ここは、自然と人間と動物が、うまく共存することが出来て、人間が本当に人間らしく生きられる理想に近い場所だと思いました。
 自閉症児にとって、親なきあとが大きな問題です。この家族は、親が死んだ後も自立出来る様に、兄ちゃんが22才の時、トウキョウ山から三重県のA学園に入れることにきめました。
 A学園は、子ども達の得手とする部分には重点をおかず、逆に、不得手とする状況に子ども達をおいて、自らの思考で困難を解決させる指導法をとっていました。
 いろいろな考え方がありますが、わたしは、兄ちゃんの長所をのばしてくれる、自然あふれるトウキョウ山に居てほしかったと思います。人の生死は、わからないのです。だからこそ、今の生を、豊かに大切にしてほしいと思いました。
 この作品は、家族が兄ちゃんに、惜しみない愛情をそそぎ、力いっぱい支えようとしています。その姿に私達は感動しました。
 でも、この家族は、こんな重い問題を自分たちだけで背負いこもうとしています。 兄ちゃんの問題は、社会の問題でもあるのです。ですから、社会にむかって、もっと訴えてもいいのではないのでしょうか。そうすれば、私達がこの問題にどう関われば良いのかが見えてきます。
 自閉症に無理解な社会であったからこそ、声を大にして告発してほしかったと思います。(黒石芳子)

参考文献
 「広辞苑」(新村 出/岩波書店)「自閉症児への架橋」(安藤春彦他三人/医学書院) 「ルポタージュ自閉症」(吉川正義/有斐閣新書)
「たんぽぽ」16号1999/05/01