ぼくたちもそこにいた
若い兵士のとき

ハンス・ペーター・リヒター

上田真而子訳 岩波少年文庫 1962.1967/1997

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 世代的に私は、「戦争児童文学」の書き手たちが、読者として想定した最初の子どもに属する。そして私は相当の文学読書オタクで、外遊びをしない家の中のガキでもあった。にもかかわらず当時記憶にある戦争にかかわる物語の全てはマンガであり、例えば「紫電改のタカ」なんぞは「戦争って悲しいもんや」を教えてくれ、今も心に生きている。
 考えられる理由は、「戦争児童文学」が私には、「つまんなかったから」。
 そして二〇年前、大人の初心者であった私は児童文学の「ぼんぼん」を読んだ。とこれがおもしろい。「児童文学で書いたら、戦争ってこんなに鮮やかに描けるんやな」だった。奇妙な、つぶやき。大人になったからだろうか?
 それから「戦争児童文学」を読んでみた(子どもの頃に読んだが忘れていたものも含めて)が、殆どがつまんなかった。で分かったのは「ぼんぼん」は、偶然あの時代に子どもだった主人公が参加し眺めている世界を描いただけなのだと。そしてそれが結局戦争を描くことなのだと。そのことを「ぼんぼん」の書きて(今江祥智)は当然良く分かっており、彼の名言を使えば、これは戦争児童文学でなく、「戦争の顔」を描いたのだ。
 それからしばらくして、「あのころにはフリードリッヒがいた」に出会ったとき、そこには実体験のない世代の私にとっても生身の「戦争の顔」があった。そこに自分がいると思えた。長谷川潮の労作「日本の戦争児童文学/戦前・戦中・戦後」に、「児童文学が子どもの側に立つものであり、そして子どもは戦争において被害者以外のなにものでもない以上、戦争児童文学が被害者の立場から戦争を見がちなのは当然のことである」(傍線筆者)と書かれているが、この二つの傍線部分の、疑いすら含まない断定こそがたぶん、戦争児童文学のつまんなさであったろう。
 「フリードリッヒ」にはそんな断定はない。そこにあるのは読者である子どもへの信頼だけである。リヒターは、物語の中の子どもと読者である子どもが簡単に手を結べるとは思ってはいない。
 そしてこの度ようやく続編、「ぼくたちもそこにいた」と「若い兵士のとき」が訳された。それらは「フリードリッヒ」の読者、私を戸惑わせた。短いセンテンス、感情描写を全く省いた文体などはそのままなのだが、「ぼくたち」から「若い」へとしだいしだいにストーリー仕立てとでも言うのか、章から章へと連なりそれらが絡まり、やがてはラストへとなだれ込むような小説の作法が放棄されている。これは物語性の否定、物語性への信頼感の喪失なのだろうか? 
 もちろんそのように考えることは可能だし、的外れではないのかもしれない。けれど、「フリードリッヒ」の読者である私にはそれは取り敢えずどうでもいい。それよりも、この二作によって「フリードリッヒ」体験が反芻させられ、その体験自体を再読させられた点が興味深かった。
 例えば、私は主人公の側から読むことがシンドクなったとき、フリードリッヒに身を寄せ、被害者としての位置から感動をしてはいなかったか?
 確かに「フリードリッヒ」にはそうした余地が残されており、その余地とは正に物語性の豊かさの証しの一つでもあり、またその余地に逃げ込む形の読みが間違っているとも思わない。ただ、戦争を知らない世代という権利の元に、それを無自覚に行使して(戦争を体験している世代という権利の元に、無自覚に書かれているテクストはないか、をも含みつつ)いなかったか。答えはもちろん、していた、になる訳だが、そうした反芻、再読は、そのままこの三作を書き続けていたときのリヒターの行為でもあったのではないかと、想像している。
 だからこそ、叶わぬことだれど、この三作以降こうしたフィクションを書かなかったというリヒターがもし、生きていたなら私は、伝えられる子ども側であった権利の元、それでももっと読みたいと、彼に言いたいと思った。(ひこ・田中


季刊・ぱろる 3号 1996,4