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奥田のベストセレクションの一冊としてポプラ社から再刊されたので、書いておきます。あ、ポプラ社さん、出してくれて、おおきに!! この物語、私が読んだ75年頃、読書会などでは、語り手が主人公を「ボクちゃん」と呼んでいることに引いてしまったり、それを批判する人は、結構多かったのね。しかも作者はこれを自伝的なものであるとほのめかしているから、「作者=語り手=ボクちゃん」となり、ますます引いてしまう・・・・。特に女の人は。 作品の評価の前にそこで躓いてしまう。のは、作品にとって不幸なことなのやけど、そのリスクを知りつつ自覚的にそうしたのか、そんなレベルのことなど気にもしなかったのかはわかりません。でも、やはりこの物語は「私の戦場」でも、「子どもの戦場」でもなく、「ボクちゃん」の「戦場」なのね。 ボクちゃんこと源くんは、4年生。母親は縁故疎開がいいと言うけど、ボクちゃんは断固集団疎開を主張する。だって、縁故疎開は弱虫みたいだから。正しい銃後の子どもは集団疎開に行くべきだ。ボクちゃんの中にはいつも正しいことは正しい、があるのね。で、島根にやってくる。成績のいい彼は級長さんを任命される。もちろんはりきりる。けど、ボクちゃんを目の敵にしている「不良」の牧野くんは、疎開先で着々と支配権を獲得していく。弱虫のボクちゃんは、先生に言いつける位しか対抗措置を思いつかない。こうしてボクちゃんの悲惨な日々が始まる。 もちろんこれは戦争状況に置かれた子どもたちに生じてしまう「イジメ」を描いて、その部分でも十分おもしろかったけど、公式見解としての「正しいことは正しい」が現場ではほとんど役に立たないことをボクちゃんが知っていくのがよかったのね。ボクちゃんは戦時下の「正しい」子どもたらんとするけど、んなもん、戦時下では通用しないパラドックス。 読み返してつくづく思うのは、子どもが子どもらしくあろうとする時のシンドさ。 ボクちゃんがボクちゃんであろうとするシンドさやね。(ひこ・田中) 新館児童書展示室だよりNo28(2002.05.22) |
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