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新美術館の開館準備で長野県の安曇野に移って早半年。嬉しいのは、絵本画家の瀬川康男さんの家が、車で一時間ちょっと、山ひとつこえたところだということです。先日、機会を得て、瀬川さんのお宅を訪ねることができました。来年、東京のちひろ美術館と板橋区立美術館で共同で同時開催する「瀬川康男展」の打ち合わせです。 瀬川絵本と言って、この一冊と決めるのは本当に困ってしまうのですが、今回は大好きな『ぼうし』。 「ももたろうが おびしめてたちを はきはちまきをして ぼうしをかぶりあなた いつまでかぶっているのおにを たいじしてしまうまで」 桃太郎に続いて、金太郎、弁慶そして犬のしろくんとみほちゃんが、順繰りに麦わら帽子をかぶります。やがて、帽子は朽ち果てて。 そういえば、誰かに「子どもに弁慶って、分かるのかしら?」ときかれたことがあります。確かに、弁慶、衣川の合戦での立ち往生を知っている子どもは少ないかも。けれど、リズミカルなことばで「ももたろう」「きんたろう」と続いてくると、弁慶が誰だろうと関係ない、子どもはすっかり絵本の世界に夢中になっています。 表紙には、黒地に黄と黄褐色の「つゆくさ」、中央に麦わら帽子を深くかぶった猿が描かれています。タイトルと猿の手先、足先に使われた赤が鮮やかに効き、装飾性に満ちた美しい表紙、これだけで、中への期待が高まるというもの。表紙を開くと一転、白い地にくっきりと鮮やかな朱色で区切られたコマの中、いっぱいいっぱいにももたろうが踏ん張っています。その左下では、線描きの猿とつゆくさが左から右に向けて飾りのように描かれています。この小さな飾り描きが、なかなかあなどれない。 次のぺージで猿が犬になり、鎧になり、つゆくさになって、物語の終わりまで狂言回しの役をはたしているのです。 原画は、和紙に岩彩で、一部つや出しに蜂蜜も使われているとか。すみからすみまで美しい絵本というのは、そうそうあるものではありません。『ぼうし』は、まさにそのひとつ。細部にわたって神経の行き届いた緊張感の心地よさ、登場人物たちの何ともユーモラスな温かさ。その背景に、どれほどの絵巻や洋の東西を問わぬ先人の仕事への研究や試行があることか。それをつゆほども感じさせないすごさが瀬川絵本にはあります。 さて、ご自宅には、全国の産地から選りすぐったたくさんの手漉き和紙が、さらに美しく生まれ変わる日を待っていました。静かに、そして楽しみに。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより「もっと絵本を楽しもう!」1996/9,10
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