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父親を病気で失う少年の物語『パパのさいごの贈りもの』を読んで、ジーン・リトルというカナダの作家はこわいほど正確に子どもの気持ちをつかんでいると感じたが、本書もその例に違わない。そのうえ本書の主人公はリトルの分身のような視力の弱い少女だ。それだけ作者の思い入れが深い作品だと思う。 アンナは五人兄弟の末っ子で九歳。学校でも家庭でも「どうしようもないほどぼんやりした子」「ほかの子とちがう子」と思われ、のけ者扱いにされている。そんなアンナをパパだけは理解しかわいがってくれる。やがてアンナの一家は、ドイツからカナダに移住することになる。カナダの学校にはいるための身体検査で、アンナの視力が弱いことがはじめてわかる。眼鏡をかけ、特別クラスにはいったアンナに新しい世界が開ける。 この物語にはキーワードが三つある。「ぶきっちょ」と「心は自由だ」と「チャレンジ」だ。「心は自由だ」は、アンナの一家が大好きな歌の題名で、家族一人々々の信条になっている。物語の前半では、「心は自由だ」は、物語の背景であるヒトラーが首相に就任しナチスの影が濃くなるドイツで、アンナのパパの全体主義への抗議の象徴となっている。ナチスのしめつけが厳しくなるなかで、カナダの伯父さんが死んだのを機会に、パパはカナダに移住することを決意する。一回目、学校でこの歌を歌うのを拒否した校長先生にささげるとして、パパを中心にアンナたちはこの歌を歌う。二回目は、カナダへ出発の日、勇気をだすために一家はこの歌を歌う。カナダに移ってからの物語の後半では、「心は自由だ」はアンナの心の叫びとなる。三回目、アンナは自分を苦しめようとする世界中にむかってこの歌を歌う。 「ぶきっちょ」は「ぶきっちょアンナ」とアンナにつけられたあだ名だ。パパがドイツからカナダに移住する決心をする物語の前半は、アンナが傷つく場面が随所におりこまれている。五歳で「心は自由だ」の歌詞をすべて暗記したアンナなのに学校でアンナがぼんやりした子と思われ友だちから仲間はずれにされるようになったのは、アルファベットを習った日からだ。どの文字も同じに見えページの上で揺れ動き、アンナには読めなかった。読めないアンナを先生はクラスの笑いものにした。 家庭でも、そうじをするアンナにほこりは見えず、お裁縫をするにもアンナの針には針穴がない。ママはがっかりし、ほかの兄弟はアンナを変だと思う。「ぶきっちょ」といういやなあだ名がアンナについたのは、カナダへいくために一家で英語の練習を始めたときだ。上の兄さんのルディが「ぶきっちょ」という単語を辞書でみつけたとき、アンナがお皿をひっくりかえしたのだ。 「チャレンジ」は「勝ち取って手にいれる何か特別なもの」。アンナの目が悪いのをみつけた医者のシュマッヒャー先生が、特別クラスのウィリアムス先生にアンナを紹介したときにつかった言葉だ。とげとげしくパパ以外はだれもそばによせつけないアンナをシュマッヒャー先生はこういったのだが、アンナはこの言葉が気にいる。 新しい学校は、アンナにとって「チャレンジ」だった。ウィリアムス先生の指導は個性を尊重するやりかたで、これまでの学校とは大ちがいだ。先生はいいときはアンナを心からほめ、アンナの詩が好きなところをのばしていく。『子どもの詩の園』をチャレンジよといってアンナにわたすところなど心にくいばかりだ。英語なのにもかかわらず、友だちともうちとけアンナの顔に笑いがもどる。 圧巻はクリスマスだ。『パパのさいごの贈りもの』でもそうだが、リトルはクリスマスのつかいかたが実にうまい。兄弟で相談して、アンナたちは両親に自分の力でプレゼントをおくることにする。でもアンナは問題外だ。アンナに、ウィリアムス先生とクラスのみんなが力をかす。みごとにできあがったプレゼントをママにさしだすほこらしげなアンナ。ほかの兄弟がアンナに嫉妬するひと幕ののち、ウィリアムス先生とシュマッヒャー先生もふくめみんなで歌う「聖夜」。アンナはぶきっちょを返上し家族みんなとわかりあうーー心あたたまる結末だ。(森恵子)
図書新聞 1990年9月22日
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