フランセスの青春

ヒルクレストの娘たち2

R・E・ハリス
脇明子訳 岩波書店 1991

           
         
         
         
         
         
         
     
 イギリスのサマーセット地方の小村に住む四人姉妹を扱った家庭小説「ヒルクレストの娘たち」の第二部。『若草物語』や『赤毛のアン』などの正統的な少女小説の伝統をまっすぐに受け継いだこのシリーズは、いわばイギリス版『若草物語』である。だがオルコットの作品に漂うような教訓臭はなく、現代作家ならではの新しい視点と手法が新鮮だ。
手法の新しさとは、その独特な構成にある。このシリーズの原作は、現在第四部が執筆されている最中で、それで終わるのか、第五部へと発展するのかは未定の長編である。しかし第四部まで各巻は、四人姉妹のそれぞれの少女を主人公にして、それぞれの視点から語られている。
第一部『丘の家のセーラ』 (昨年ハ月邦訳)では、末娘セーラが主人公で、彼女が七歳からの十年間が、セーラの立場から語られる。第二部である本書では、主人公は長女フランセスに移り、彼女の十七歳から二十七歳までを、フランセスの視点から描く。同様に第三部は次女ジュリアの視点から語られ、第四部は三女グウェンの視点からのものになるはずだという。しかも第一部と第二部で扱われている時代は、第二部の方が半年ほど長いものの、ともに一九一○年から二○年まででほぼ同時代である。従って第二部で語られる大きな事件は既に第一部で語られたものであり、その意味ではおもしろみに欠ける。
しかし第一部で幼いセーラには見えなかったり理解できなかったものが、後続の巻の姉たちの目を通して明らかにされる新たな楽しみがある。またそれだからこそ各巻でそれぞれの少女の年齢に応じた感性や心理を素直にそのまま描きですことができるのだ。読者の要望に応えて書き続けられた連作ものとは違い、作者がはじめから最低四部作を意図して書かれた作品であるがゆえに、四つの巻は互いに補い合い、巻を読み進めるごとに、この四人姉妹像がより立体的なものになってくるのである。
第二部は、第一部同様、姉妹の両親が相次いで死に、愛する我が家ヒルクレスト荘が売りに出されそうになっている場面から始まる。十七歳で突然否応なく一家の主にされてしまったフランセスは、家事のいっさいから妹たちの面倒まで、すべての責任を負わされる。この巻では、気丈で才能豊かなフランセスが、妹たちと助け合いながらいかに一家の危磯を乗り越え、一方で画家になるという自分の夢を実現すべく、いかに周囲を説得して美術校に通い、画家の卵としての道を歩み始めるかが語られる。特にウェイトがおかれているのは、仕事と恋愛と結婚の間で微妙に揺れる彼女の心理と葛藤である。
前述のとおり主な事件は第一部とほとんど同じだが、それらの様々な事件に鋭敏に反応していたセーラに比べると、フランセスの最大の関心事は、画家として独り立ちすることであり、結婚をとるか仕事をとるかの悩みである。これは何事にも感じやすい年頃のセーラと、仕事や結婚が最大の関心事で、その二者択一を迫られやすい年頃のフランセスの年齢の違いを考えれば当然のことである。しかしそのために作品全体の印象も第一部よりは単調なものになってしまっていることは否めない。
最もがっかりさせられたのは、フランセスが最終的にに結婚を決意するところまでしかこの巻では語られていないことだ。結婚を選ぶことが悪いと言っているのではない。しかし第一部では、結婚を拒否し仕事を選ぼうとするフランセスや大学に進学し自分の可能性を追求しようとするセーラなど、新しい生き方を模索する女性が描かれていたのに、第ニ部ではそれが単に結婚を選ぶということで終わってしまっては読者としてはたまらない。
読者が本当に知りたいのは、彼女が結婚後もいかに仕事と家事を両立し、いかに画家として一人前になっていくかである。美術を志しながら家庭に入り子どもを産み育てているうちに、自分の思うような絵がかけなくなってしまった彼女の母親の二の舞を、彼女がいかに踏まずにすむかである。その部分を語るためにも作者はぜひ第五部を書かなくてはなるまい。それでなくてはせっかくの新しい視点が新しくなくなってしまうからだ。(南部英子
図書新聞1991/06/01