ふたりのロッテ

エーリヒ・ケストナー
高橋健一訳/岩波書店出版

           
         
         
         
         
         
         
     
この物語は、第二次世界大戦後の1949年ベルリンで、発表されました。今からちょうど50年も前に書かれていたのです。私はこの作品とほぼ同じ時期に生まれています。それより一足さきにケストナーは、この話を映画のシナリオに書いています。
日本では、美空ひばりさんによる、二人一役で『ひばりの子守りうた』として、なかみは『ふたりのロッテ』が映画になっていました。
この物語と初めて出会ったのは、劇団四季によるミュージカルでした。リズミカルで、時代背景にそった華やかな衣装、あっというまに時間が過ぎてしまいました。帰路は、ハッピ−エンドの余韻を繰り返し思いだし、楽しみました。
心暖まる物語を、この度、再度本によって味わうことが出来ました。日本人の苦手とする、ユーモアを随所にちりばめて、読めば読むほど、ほのぼのと暖かい魅力を、楽しむことが出来ました。
現在新聞紙上では、「離婚件数は過去最高を更新する」とあり、反対に「結婚件数は減少しており、出生率も減少し、女性の晩婚化も進んでいる」と書かれています。今まで培われた家族像が陰り、新たな家族形態に、変わりつつあるようです。
『ふたりのロッテ』は、一度壊れた家庭を、9才の双子の子供たちの知恵と努力によって、再び家族となる、ハッピ−な物語なのです。主人公は二人の少女です。見違えるほど良く似ていて、鏡を見るみたいに瓜ふたつなのです。
なんといっても、双子なのですから・・・・。
違うところは、髪の形だけなのです。1人は、ルイ−ゼ・パルフィ−(ウィーン)。父の元に住み、巻き毛を長くのばしています。もう一人は、ロッテ・ケルナー(ミュンヘン)。母のもとで暮らし、髪の毛はきちんとお下げに編んでいる少女です。
この二人の性格は、対照的です。ウィーンから来たお転婆な女の子ルイーゼと、ミュンヘンから来たおとなしい女の子ロッテです。二人は、小さい時に離れ離れになったので、お互いの顔も名前も、まして存在すら知らなかったのです。
双子といえば、小学校の時の私達のクラスに、女の子の双子が一組いました。近所にも一組の男の子の双子がいました。どちらの双子も、良く似ていましたから、きっとロッテのように、一卵生双生児だったのでしょう。でも、一緒に遊んだり長時間いたら、なんとなく、「違うなあ」と思うところが見えて来るんです。特に大人より子供達の方が、その子達の名前を間違えないで呼んでいました。
本の中では、二人がとっても良く似ている事を、運転手さん、炊事のおばさん、子供達等色々な人を通じて強調されているので、読み進めているうち、自分の経験から、少しは似ていないところもあるんじゃないか、と頭をかすめつつも、とっても良く似ていることが印象づけられて、どんどん物語に没頭し、夢中で読んでしまいます。性格については、二人は正反対なことが強調されます。またもや読者は、作者の意図する世界へと、抵抗なく導かれていくのです。

二人の少女達が、初めて出会いビックリする場所となる、ここはオーストリアのゼービュール村。美しいビュールゼー湖のほとりにある「子どもの家」。今年も、ドイツとオーストリアから、たくさんの子供たちがやってきています。
最初ルイーゼは、自分と似ていることだけで、ロッテを憎みいじめてやろうと思いますが、急にふたりは気が合って、すっかり仲良しになってしまいます。話をしているうち、大変なことを発見します。生まれた日も同じ、生まれた場所も同じなのです。ということは・・・・。
双子とわかった二人は、綿密にある計画を立てていきます。本文には、「くる日もくる日も、ふたりはそのほかのことは、なんにも話しません。・・・・今まで子供の空に包まれていたものは、じぶんたちの世界の半分にすぎなかったのです。そういうことが、にわかにわかったのです!ふたりが、この二つの半球をつなぎ合わせて全体を見わたせるようにするために熱中して・・・・」
子供たちは勇気をもって、積極的に、そして理知的に物事を進めていきます。しかし、大人に関してはまったく、冷たい言葉を随所に投げかけます。例えば、「私の可愛い、ひとりむすめよ!」と、大好きな父からの手紙に、子供は微笑むでなく、「双子のあることをよく知ってるくせに」と、父親を批判する言葉をルイーゼに言わせています。「大人は嘘つきよ!」といいたげです。

ケストナ−の『ファービアン』の本の中には、大人の世界への絶望が語られています。随所に見られる、大人への容赦のなさは、ケストナ−自身の心の反映なのでしょうか。大人に対するのとは反対に、可能性を秘めている子供達へは信頼と夢を広げ、すばらしい未来社会をたくしているかのようです。だからこそ、子供達は生き生きと積極的で個性豊かに描かれ、一度壊れた家庭を、再び家族として作り上げる力を、作者は少女達を通して希望を伝えたかったのではないでしょうか。
訳者のあとがきによると、作者は、戦争中ナチスに圧力をかけられ、絶えず生命を脅かされ、生活に苦しんでいたころ手掛けた作品です。その頃苦労をともにした奥さんの名前“ルイーゼロッテ”をこの物語の中で、「ルイーゼ」と「ロッテ」と言う双子の女の子の名前として登場させていることから、作者の家族への強い思いと、溢れる愛に気付かされます。この双子は、1人の妻の名前、つまり「2人はひとつ」なのです。2人だとしても、離れることのないかけがえのない一つなのです。この作品に対する真剣さと、心からの願いに触れ、作者の思いが読者の心に響きわたり、ほのぼのと暖かい気持ちが伝わって来るのです。
このお話はケストナ−が、長い間あたためて書かれたとあり、子供から大人まで、その世代が受ける感動の音を響かせる作品だと思います。作者は、色々な世代の人々が色々な感動の音を響かせて読むことを、望んでいるのではないでしょうか。皆さんも、自分の中の感動を味わってみてください。(小泉和子
「たんぽぽ」16号1999/05/01