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小さなマライアはその朝、おなかがいっぱいで、ピアノのおけいこも終わって、快適な気分でした。応接間に入っていくと、日の光がさしこんで静かな部屋は、なんだか幸せそうな感じでした。マライアは、「いつもよりもっとひとり」な気がしました。椅子に座っている自分が、自分で見えるような気がしました・・そのとき、マライアは、そのハエを見たのです。 それはまったく普通のハエでした。でもどういうわけか、マライアにとっては「特別」でした。彼女は三分ほど、じっとハエを見つめていました…我に返ったときは、「少なくとも三世紀」は経ったような気がしました。何もかもが輝いて美しく見え、幸せな気持ちでいっぱいでした・・・。「ハエになったマライア」は、人が何かに「出会う」瞬間を、鮮やかに切り取って見せてくれます。今まで見慣れていたものが、まったく別の、唯一のものとして目の前にたち顕れ、一瞬が永遠のように感じられる、幸福な時間。 けれども小さなマライアは、自分の経験を言葉で言い表すことができません。料理婦や庭師、お父さまや牧師さまなどに、どんなに生懸命「ハエを見たの」と言ってみても、はかばかしい返答は得られないのです。(彼女のまわりの大人たちは、一般の大人よりむしろ親切で、ちゃんと耳を傾けてはくれるのですが。)唯一多少わかってくれたのは、庭師の息子で「少し足りない」ヨブでした。「んだ、ハエエ、見たことある」二人で大笑いしたあと、マライアは心がしんと沈むのを感じます…。自分だけのものを手に入れるということは、その後の深い孤独をも引き受けることなのだ、という真実までが、短いお話の中に、優しい言葉で、でもはっきりと描き出されます。 デ・ラ・メアは不思議な作家で、わくわくする筋運びや多彩な人物造形が重要な、いわゆる「普通の子どもの本」とは、少し離れたところに佇んでいるようです。けれども彼の描いた物語や詩は、「子どもの本」の世界自体に刺激を与え、豊かにしていく力を持っているように思えるのです。 例えば「だれかがドアをノックする」(メリック作/斎藤倫子訳/徳間書店刊)は、デ・ラ・メアの同名の詩に刺激を受けて書かれた、不思議なファンタジー。夜、誰もいないのにノックの音がする…という詩を、ずっと心の中で暖め、「誰がノックしていたのだろう」と思い続けていたもう一人の作家が、そこから独自の想像豊かな物語を育てていった、という、幸福な関係が見て取れる一冊です。(上村令)
徳間書店 子どもの本だより25 「児童文学この一冊」1998/5,6
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