蝿の乳しぼり

ラフィク・シャミ 作 ルート・リーブ 絵
酒寄 進一 訳 西村書店 1995.11

           
         
         
         
         
         
         
     
 シリア出身でドイツ在住のラフィク・シャミの短篇集である。作者自身とおぼしき「ぼく」の語りで、親友のサリムじいさんからきいた話や「ぼく」の体験、身近で起こる事件など全部で十三篇が収められている。舞台は作者の故郷シリアである。
 七十才というサリムじいさんは、ユーモラスで示唆に富む話をする。たまに鋭く本質を突く「ぼく」の母親、誇り高い肉屋、「ぼく」と浮気をする女性、問題多い学校教師、そして「ぼく」の仲間たちなど、登場人物が生き生きと温かく、時には鋭く描かれている。
 最もインパクトの強いのは二番めの作品「ケバブは文化なり」である。ケバブ(肉の串焼き料理)に誇りを持つ肉屋のムハンマドがケチャップをかける観光客に対して烈火のごとく怒る話である。落語のように愉快で小気味よく、「語り」の世界にはまり込んでしまう。愛すべきムハンマドに、作者の民族的誇りが重なってみえて、私は好きだ。
 作者シャミは、さりげない事を登場人物の口を通して語らせることがとても上手で、しかも彼自身の思いがきちんと伝わってくる。
 つまり、戦争のおろかさ、支配者の身勝手さ、または市井に生きる人々のたくましさ、したたかさである。表題作でもある「蝿の乳しぼり」では、サリムじいさんと「ぼく」の口から明確に意思表示される。蝿の乳しぼりというナンセンスな言葉が読後に深い余韻を残す。
 「ぼく」は、シリアという地域的特性から、厳しい現実を孕んだ日常に生き、そこに民族、宗教、歴史などが関わると私たちには想像すら難しいことも多い。その上でなお、シャミの作品がおもしろいのは、人間観察の鋭さと、「語り」の巧みさと、故国シリアへの深い愛があるからだと思う。
 岩波書店の『片手いっぱいの星』もあわせておすすめしたい。( 冨名腰 由美子
読書会てつぼう:発行 1996/09/19