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この物語を読んで、近松門左衛門の「虚実皮膜論」(難波土産)を思いだすのは、わたしだけだろうか。それがまったく見当はずれな連想だとしても、ここには確かに、事実と虚構との巧みな融合がある。『絵本江戸風俗往来』や『江戸名所花暦』照合などにみられる作者の歴史的事実詮索の部分。その部分に、架空の人生である植木職人常七の姿がみごとに織りあわされている。とりわけ「常七覚書」は、その虚構の最たるものであろう。わたしたちは、あたかもそれが重要な現存古文書のように目を輝かせ、作者の抑制のきいた文体に導かれて、その中にすべりこんでいく。作者は、古文書解読のふりをしながら、じつは「もうひとつの国」をわたしたちの前に繰りひろげる。「ねのとしやよひ十二にちさくらさう 十ヶのうち九。」このあやしげな「呪文」に魅せられた瞬間、わたしたちはそれを「通路」として、もう目の前にサクラソウを売り歩く常七の前に立たされてしまう。いってみれば、まことに心にくいばかりの物語構成である。「ぼたん」(『鯉のいる村』収載)においては、読者の現在を考慮した設定で「花と人間」の物語が語られていったが、この物語では、そうした横断橋の配慮も取りはらわれ、読者は、自分の現在と架空の人生とを照合検討する前に、まず植木屋源吉の弟子入りをしなければならない。そして、そこはもう、守りっ子のおさよちゃんがいて、がみがみいうおかみさんがいて、先輩の喜三次や正造がいてまさしく、作者のつくりだした独自の市井なのである。 常七は、徒弟奉公の常として雑用からやらされる。そうしたある日、ほうそうをうつされて、誰にみとられるでもなく死んでしまうおさよ。土まんじゅうの墓のまわりに無数の蝶が舞う。常七はこの衝撃をひめて植木職人の道を歩む。やがて、キクに熱中しはじめる親方の源吉。親方も兄弟子の喜三次も、キクを花としてめでるのではなく、「人目をおどろかす」道具のように考えはじめる。見世物としてのキクということに、常七は同意できない。常七は、花もまた命あるものだと思う。 「じつはこのごろ、キクの苗が常七になじんできはじめていた。 キクが、『のどがかわいた、水がのみたい』とか、『あついよう』などとうったえているのがわかるようになっていたのである。 朝はやくでていくと、キクは常七にむかっていっせいに、 『かゆい、かゆい、葉のうらに虫がついてるよう。はやくとってくれよう。』 と身もだえて、あまえることがあった。 生命をそだてることのおもしろさ、尊さに気づき、ただもうそれにのめりこんでいたのであった。」 派手でなく、口下手で、むしろ鈍感だと思われている常七に、親方の娘のお千花が好意を寄せる。やがて、のれんわけをしてもらってお千花と夫婦となる常七。彼は、サクラの花を育てることに後半生をかけ、おさよの墓地のまわりならず、江戸の人びとが自由に花見を楽しめるように、商売をはなれて、あっちこっちに花を咲かせていく。 これでは「あらすじ」にもならないだろう。なにしろここには、常七、十三歳の春から、ほぼ五十余年の人生が、断続的にせよ語られているからである。一筋に花に打ちこむ常七の在りようは、簡潔な覚書をはさんで、ゆっくりと浮き彫りにされる。わたしは、古文書解読のようにといったが、覚書から展開されるこの市井人年代記は、そのまま作者の豊かな構想力のあかしなのである。 それにしても、である。この物語には、かたくななまでのといっていいほどの、「時代状況」拒否の作者の目がひそんでいる。時代状況という場合、たとえばつぎのような事実をさしている。 ここで描かれる常七の生活は、文化三(一八〇六)年にはじまって安政六(一八五九)年で終る。この半世紀に及ぶ人生提示の背後に、流動する時代状況がある。 一八〇六年。(常七が源吉親方の徒弟となった年)滝沢馬琴、『椿説弓張月』の初篇刊行。前年、ロシアの通商要求を幕府は拒否し、沿岸防備体制の強化をはじめている。この年、江戸大火。 一八〇八年。(親方の息子源治がほうそうにかかり、おさよが死んだ年)関東大飢饉。イギリス船フェートン号、長崎に入港。長崎奉行引責自害。式亭三馬『浮世風呂』初篇刊。 一八〇九年。(親方、菊づくりに熱中)間宮林蔵、黒竜江地方探検。上田秋成の死。 とんで、一八一八年。(常七とお千花の結婚)イギリス船、しばしば浦賀に出没。常陸に百姓一揆。沿岸測量全図を完成した伊能忠敬の死。 一八三九年。(常七、四十六歳。一男三女の父親。「花咲か」に集中)蛮社の獄。渡辺崋山、高野長英ら投獄される。江戸湯島天神で「富くじ」興行はじまる。 一八五九年。(常七の最後の覚書)安政の大獄。吉田松陰ら処刑される。すでに前年の日米通商条約にはじまり、英、仏、露とも条約は締結され、この年、神奈川、長崎、函館で貿易開始。完全開国である。 徳川三百年の鎖国政策が崩壊し、時代は大きく変わろうとしている。 わたしが「時代状況拒否」の目という時、いわゆる巷の噂話にも、そうした時代意識を作者が作品に持ちこまないことをいっている。ここにあるこの姿勢は何だろうか。 常に「大義」を優先させ、「個々の生活」を第二義的とした風潮。いまだに厳存するイデオロギー中心の発想。そうしたものにむかって、ひたすら人間のかなしいまでの生きようを汲みあげる発想だろう。変革の志にではなく、花つくりに生きる一市井人を通して、理念や理想優位の発想に潜在する人間蔑視のやり切れなさを、逆照射していることだろう。 常七は、理不尽な徒弟生活に批判的言辞さえ口にしない。そうした生活が生みだす悲劇をじっとみつめるだけである。そうした時代だったからということもできるだろう。しかし、そうした時代だったからこそ、その不合理性をあざやかに剔出するそういう発想もある。『花咲か』はそうした道をたどらない。無口な常七のだまって花を咲かせる姿を描くことによって、一回限りのこの短い人の命の重さを伝える。作者にとって常七は、ただの過去の一市井人ではないのだろう。(上野瞭)
日本児童文学100選(偕成社)
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