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前作『オギーのぼうけん旅行』は、親切な人間家族を追ってロンドンから田舎まで旅するハリネズミ、オギーの冒険物語であったが、今回の作品は、原題『家でのオギー』の通りその人間家族の家の庭先を舞台に、そこの飼いネコとの交遊を楽しく描いた作品である。 快い冬の眠りからふいに起こされたオギーは、挨拶の仕方も道路もロンドンも知らない子猫のティギーに出会い、その無知さに昨年の自分を見るような思いで、彼女に物を教え込もうと決心する。木登りや獲物捕りや護身術などを真剣に教えるオギーに、我々は貴重な冒険旅行を通して大きく成長した彼を見い出すと共に、ティギーの木登りのうまさに驚嘆し、とげのない彼女に背を丸めて身を護ることを教える彼に前年の彼の面影を見てその心許ない先輩ぶりにほほえまずにはいられない。 この作品のオギーと並んで重要な愛すべき登場人物(?)は、その邦題にもなったT オギーのゆかいな友だちUティギーである。無知無謀でおてんばで気位ばかり高い臆病者。このお茶目で無邪気な彼女に我々は我々の内なる性質を見い出し苦笑する。小動物をおもちゃ扱いにして殺してしまったり、他の動物と同等に扱われることを拒んだり……。 かつてイギリス鳥類研究所に勤めていた作者は、動物の生態を克明に観察し的確に描きながら、人間批判と諷刺を織り込んだユーモラスな動物の性格物語を創り上げ、その中で真執に生きる人生の縮図を示し、生ある者の真実−動物がえさを捕る意味や死の意味−をはっきりと語っている。それが、この作品が単に楽しいだけの動物物語に堕することを妨げている最大の要因であろう。また随所に見られる諷刺や人間批判にもかかわらず、作品を明るくしているのは、作者の機知とユーモア、そして小動物への暖かい思いやりと人間に対する究極的な信頼のためであろう。 前作で読者に期待を抱かせながらこの作品で語られなかったエピソード、例えばオギーとネズミのラットの再会、あるいはオットラインとバジャーのそれやウミツバメの月への冒険旅行などは今後に期待したい。というのは作者は休暇の意味もわからずにT休暇を見に行UきたがっているオギーにT休暇への旅Uをさせないはずはないのだから。(南部英子)
図書新聞19980/01/16
テキストファイル化 大林えり子
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