ハリー・ポッターと賢者の石

J・K・ローリング:作 松岡佑子:訳
静山社 1999

           
         
         
         
         
         
         
    
 もともと日本の子どもの本の世界には、子どもたちが気に入ってベストセラーにすると、必ず、あんなに子どもにウケるのだから悪い本に違いない! といって叩く大人たちがいます。
 ノンタン≠熈ウォーリー≠熈はれぶた≠熈アンパンマン≠熈ズッコケ≠焉Aみ〜んなバッシングにあいました。
 まぁもっともこれは外国も似たようなものらしく、あのリンドグレーンの『長くつ下のピッピ』(266ページ)なども、出版された当時はあんな行儀の悪い子どもが主人公なんて≠ニ読んではいけない本としてさんざん叩かれたらしいです。
 今だけじゃなく昔も、たとえば『少年倶楽部』が爆発的に売れた時なども、あんな低俗なものじゃなく、もっと子どもたちに高級なブンガクを……とマジメな雑誌が作られたそうですから、人間、どこの国もいつの時代もおんなじ……つまり全然賢くなっていかない……ってことなんですかねぇ。
 そうしてそうやって叩かれても大勢の子どもたちが断固として手放さなかったものは一〇年経てば、王道≠ノなるのも同じです。
 そのうえハリ・ポタ≠ノいたっては、あまりにも売れるので、やっかみ半分、日頃子どもの本など関心を持ってない大人たちからも、主人公がちっとも成長しない、だの話の持っていきかたがいきあたりばったりだのなんだのとあれこれいわれているようで、あ〜ぁ……です。
 あのね……ハリー・ポッター≠チてね、小学生の一年生あたりから四年生くらいまでの感性で描かれてるの!
 でもってその年代の特徴って、成長しないことなの!
 主人公がたとえ八才でも、一つの事件をきっかけに成長する話は五年生以上がターゲット……いわゆるヤング・アダルトに入ってしまう……。現実の一〇才は遅々としてしか成長できないから、成長する話にはついていけない……。つまりハリー・ポッター≠ヘドラえもん≠ネんですよ〜。
 ハリ・ポタ≠ヘ『指輪物語』のようなモダン・ファンタジーじゃないんだから、成長しなくていいんです! モダン・ファンタジーはどうやって成長するか……がテーマなんだから、成長しない主人公はまずいけどさ。
 だからのび太は成長しない!ハリーも成長しない!
 成長されたら読者は(つまり子どもたちは)困るんですよ。
 でもって、こんなマヌケが将来、大魔法使いになれるわけないじゃん! ってそれはいわないお約束よ……の世界なんです。
 ハリーがスーパーヒーローじゃ、子どもたちはハリーになれる気がしないでしょ。
 290ページの『ダレン・シャン』なんてもっとすごいよね。なんせ吸血鬼なんだから、年はとらない……。ダレンは当分、まだ世間がつかめない、おマヌケな一〇才児でいられる……。
 やられた〜、ですよ。
 多少お話のつじつまがあわなかろうと、それはどうでもいいんです。全体のスピード、魅力的な小道具、守ってくれる大人、物語としてのエネルギーのほうが圧倒的に大きければ──。
 あのね、クリエイティブな世界というのは幸か不幸か、うまい! ということイコールおもしろい!になるとは限らないんですよ。もちろんうまさイコール魅力ってことだってあるけどね。うまくなくても、つじつまがあわなくても、スキだらけでもおもしろい!ということがありえるんです。逆に作者が慣れて上手になってきたら魅力がなくなっちゃったりしてさ。
 そうして、大人はドラえもん≠竍ハリ・ポタ≠楽しむ必要はないんです。わざわざ一〇才児の世界をね。大人なんだから──。(赤木かん子 『絵本・子どもの本 総解説第5版』)
テキストファイル化高橋美紀