春駒のうた

宮川ひろ作
北島新平絵 偕成社 1971

           
         
         
         
         
         
         
     
 風や花の匂いと人間のぬくもりを伝えるような……というと、まったく紋切型のほめ言葉になるけれど、この一遍、そんなふうにさわやかな物語なのである。
 さわやかな……ということを、どう説明すればいいのだろう。決して明るく健康な人間たちだけが紙の上を闊歩しているというわけではない。たしかにそういう登場人物も描かれている。たとえば、タクシー運転手の平さん、何でも屋のおさとばあさん。千鳥分校にかよう子どもたち。それに園田恵子先生。この人たちなしに「さわやかさ」は生まれないだろうが、ここでわたしのいうそれは少し違っている。登校拒否を続ける圭治という少年。その保護者である文三おじい。この人たちの屈折した重苦しい心情を表現しながら、なおかつ、この作品全体は「さわやか」だとわたしは指摘しているのである。それはどういうことなのだろう。「屈折した」少年と老人の姿を抜きだしてみる必要がある。
 圭治の場合。これは突然の発病による足の麻痺をさしている。町の小児科医は小児麻痺かもしれないといいながら、熱さましの注射をうつだけである。半年以上たった時、圭治の足は自由を喪っている。圭治の父は太平洋戦争で戦死。母は再婚している。圭治は、文三おじいとおばあに育てられる。松葉杖をついて村へもどってきた時、圭治は「びっこ」と同級生にからかわれる。学校を拒否し、布団の中にすっこみ、絵をかく圭治の生活が始まる。
 文三おじいの場合。おじいは日露戦争で父親をなくしている。当時、村で唯一の戦死者というので、おじいは「名誉ある勇士の息子」として特別扱いされる。夏祭りの時、お宮の入口のしめなわを切る名誉ある役目を与えられる。しかし、敗戦後、事情は一変する。しめなわ切りの役はおじいに何の相談もなく区長の仕事になる。おじいは父親だけでなく、太平洋戦争でせがれ(圭治の父)もなくしている。世の中のこの変わりようが、がまんならない。そこに、圭治の足の麻痺である。おじいの怒りは表面に噴きだす。孫の足の麻痺は、病気のせいもあるだろうが、同級生が相撲の時、手足を引っぱったり、ねじったりしたせいだといいはじめる。誰と誰が孫の足をこうしたのか、それを調べよ、と分校にねじこむ。おじいは酒をくらって毎日先生に談判にいく。古くからいる先生は、これをきっかけにして、分校を去る。そのあと、つぎつぎ赴任する先生たちは、長続きしなくなる。若い女先生の園田恵子が着任するのはその時である。
 こう書けば、物語の展開はおよそ推察できるだろう。いうまでもなく、この先生が、文三おじいと圭治を納得させ、学校へこさせるようになる。その結末は推察がつく。しかし、これでは、この物語を「女教師苦闘譚」か「女先生奮戦記」にすりかえてしまう。もちろん、園田先生ががんばらないというのではない。園田先生大いにがんばる。圭治を登校させるために家庭訪問を続け、おばあとの間に信頼関係を築いていく。また文三おじいに茶碗を叩き割られたなら、鉢巻きをしめる思いで抗議にいこうとするし、酔っぱらいには酒で相手になろうと、ショウチュウ一升買い込んで、おじいの出現を待ち受けもする。それだけではない。おじいがみこしの前に座りこんでごねれば、まるで、子どもをさとすように腕を取って連れだすし、圭治の絵をコンクールに出品して、立ち直るきっかけも作りだしていく。りっぱないい先生なのである。そして、作者は、この先生のがんばりようをみごとに描いているのである。
 しかし、この作品のすぐれている点は、右の先生だけを浮き彫りにしたところからくるのではない。繰りかえすようだが、屈折した人間の心情や行動を、園田先生同様にみごとに描いているところからもきている。二年も休学したために、三年生になれず、一年生でいなければならない圭治。そのひがみっぽくなった自分への情けなさ。あるいは、そんな孫を不憫に思い、じぶんのやり切れなさをそこへ重ねていく文三おじい。少年と老人の、背おわなければならなかった苦しみのほどと、それをはねかえせずに悶々とする姿が、よく浮き彫りにされている。ここへ、口にこそださないが、おじいの気持ちを理解し、じっと見守るしかないおばあの姿も付け加えていいだろう。心やさしい故に傷つきやすく、心やさしい故にその傷を、他人に当たり散らすことでしか表現できない人間の悲しみが、そくそくと伝わってくる。「さわやか」といったが、わたしは、この精いっぱい生きる人間の、何度もあともどりしながらも、そこから抜けだそうとする姿が、まるで花開くつぼみの姿を見るように、作者の手であたたかく描きだされていることをそういっているのだ。
 そういえばこの物語の中ほどに、先生とおばあと圭治が、サクラの花の音を聞こうとする場面がある。ほころびたつぼみが、朝風に、ポ、ポオ、ポアとかすかに音立てて開くという個所である。
「…それは、心の耳にだけ、きこえた音だったのかもしれない。ながい冬のあいだ、山から吹いてくる風にたたかれ、枝にこおりついた、雪のつめたさにもたえて、いまやっと、美しくさきそろったのだ。それなのに、そんなはげしさはどこにもなくて、しずかに、やさしく、はじらってさえいるようである。」
 文字通り、花開く音を聞くような描き方である。これを、「花鳥風月」をめでる日本人独特の発想ということはやさしい。たしかにこの物語全体に、人間の喜びや悲しみを「自然の美しさ」に託す発想はある。それはそれとして否定しないが、この物語の「さわやかさ」は、実は、屈折した人間の内的外的葛藤を描きながら、「しずかに、やさしく、はじらってさえいるよう」な作者の感性と表現方法の所産ではないかといいたいのである。
 わたしはこの一遍を、壺井栄の『二十四の瞳』と灰谷健次郎の『兎の眼』のあいだに置いて考えている。作者の「自然賛歌」の中には、かつての泣虫先生物語に通じるものがある。しかし、この物語の園田先生は、最後の場面で、気おっていた自分を反省したり、賞状ですりかえられない現実のきびしさを痛感したりする。その点で『二十四の瞳』とは、はるかに遠くにきているのである。それにしても、本を閉じると、たしかに春駒の歌が聞こえる……。 (上野瞭
日本児童文学100選(偕成社)
テキストファイル化 妹尾良子