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本書は、英国でホイットブレッド賞を受賞した『ペンテコストの冒険』の続編であるが、単独に読んでも十分楽しめる独自の完結したプロットと物語性を持った作品である。 カヤネズミ一族に選ばれた新しい指導者ペンテコストは、すべき仕事もなく、一族からも無視されているように感じながら、毎日をむなしく送っていた。数々の冒険を経ながら一族をリッキー丘まで率いた先代のペンテコストのように、自分が何かめざましい冒険をしてヒーローになりたいと望んでいたのだ。ある日彼は、ハリネズミの予言に従い、自分の使命を果たすべく、街へ旅立つ。街では、ごろつきの街ネズミのボスに命をつけねらわれ、苦難が続く。一方、キツネが間違えてリッキー丘へ連れ帰ったペンテコストと瓜二つだが、傲慢な街ネズミ、ペンテコステは、平和な丘で身も心も清められ、ハリネズミによって予言された自分の使命を自覚して、街へ向かう。 物語の筋運びは、冒険物語にふさわしく、波乱とスリルに富み、読む人の心をひきつける。また前作のように、作品の重要なプロットが途中で中途半端に終わることもなく、首尾一貫している。欲を言えば、外観が酷似している二匹のネズミが、なぜそれ程似ているのか、という点について合理的な説明があれば、尚よかったとは思う。 登場する動物達の性格は、前作同様見事に描き分けられている。多少ひがみっぽいが、正義感が強く、心優しいペンテコスト。友情に厚く勇気ある詩人のキツネ。臆病で自惚れが強かったが、素直な心と真の勇気に目ざめたペンテコステ。意地悪く、騒ぎを起こしては喜ぶ七本足の昆虫コックル・スノークル。横暴で小心者の街ネズミのボス、ゼロ。正義感が強く、頑固で誇り高いゼロの父親。おべっか使いで、卑怯者の街ネズミ、スニーク。目だちがりやで、お世辞に弱いおじネズミ。二匹で一人前のハリネズミ。正義と友情のために死んだ見張り役の街ネズミ。我が身の不幸を嘆いてばかりいるフクロウ。心を閉ざし、常に独力で生きているネコの黒影。これらの動物達の鮮明な性格づけは、読者にその一匹一匹を強く印象付けるとともに、我々人間の持つ性格そのものとして、深い真実味を帯びている。それは作者の人生経験、人間観の色濃い反映であり、私はここに、人間に対する作者の鋭い洞察の目を感じずにはいられない。 ところでヒーローは誰だったのか。英雄的な活躍もせず、生きのびるのが精一杯ではあったが、我が身の危険も顧みず、見張り役の無実を証言したペンテコスト。臆病心を克服し、ペンテコストを救い、ゼロを追放したペンテコステ。そしてなんといっても、命がけで黒影から親友を救おうとし、結果的にはペンテコステを救ったキツネ。ある意味ではこの三匹のどれもがヒーローであろう。しかし作者はキツネに「ヒーローなんて、どこにもいないじゃないか。・・・ぼくらは、ただできることを精いっぱいやるだけなんだ。」と言わせている。つまり自分に与えられた環境や運命の中で、素直な心で精一杯生きること、それが大切なことであり、ヒーローへつながる道なのだ。即ちある意味ではヒーローはどこにもいない。しかし別の意味では誰でもヒーローになれるのだ、という逆説的な主張と受け取ることができないか。二匹のネズミもそのことを学ぶために、そして真の指導者として必要な勇気・思いやり・賢さ・誠実さなどを身につけるために冒険に出たと考えることはできないか。そして作者は彼らの冒険を通して、悪や不正のはびこる社会の中で、勇気を持って正直に誠実に生きることのむず かしさを訴えているのではあるまいか。 ハラハラする筋運び、個性あふれるキャラクター、テーマの豊かさ、人生に対する深い洞察、作者の思想の確かさ、未来に対する明るい希望など好ましい要素を多く持った楽しい動物ファンタジーである。(南部英子)
図書新聞1988/03/05
テキストファイル化 妹尾良子 |
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