ひみつのポスト

ジャン・マーク

百々佑利子訳 文研出版 1988

           
         
         
         
         
         
         
     
 ルイーは、小学校四年生の本が大好きで想像力ゆたかな女の子だ。でもちょっと内向的でなかなか友だちができない。ここまで書くと、「あたしにそっくり」という声がたくさん聞こえてきそうだ。そういう声の持ち主ならこの本の読者にぴったりで、ルイーになったつもりで喜んだり悲しんだりできる。それでは、もっと活発でだれとでも友だちになれるルイーとは違うタイプの女の子はどうかというと、自分をルイーと一体化できない違うタイプの子でもルイーの「ひみつのポスト」なら文句なく楽しめるだろう。
 ルイーにとってグレンダはたった一人の友だちだ。そのグレンダが引っ越すことになる。引っ越してからもグレンダと友だちでいたいと思い、ルイーは文通しようとグレンダをさそう。文通のしかただが、小遣いの足りないルイーはスパイのテレビから切手のいらない「ひみつのポスト」を思いつく。それは、本が大好きで毎週公共図書館に通うルイーならではの思いつきだ。図書館の本の表紙のうらについている貸し出しカードを入れるポケットに手紙をかくすのだ。ルイーは、ほとんど借りられていない『風車小屋の子どもたち』という本のポケットに手紙を入れてその本の題名をグレンダに教える。
 次の週、グレンダからの返事を楽しみにルイーが『風車小屋の子どもたち』のポケットをさぐると、出てきたのはルイーの入れた手紙だった。泣きながらルイーは、くやしまぎれにグレンダに絶交の手紙を書く。『風車小屋の子どもたち』を本だなに返そうとして、ルイーはジェーン・ガーランドという母親が作家だという女の子から声をかけられる。ルイーから話を聞いたジェーンは、自分の住所を書いた、ペンフレンド求む、の広告を好きな本の間にはさむようにルイーに教える。その次の週、ルイーとジェーンは二人して広告をかたっぱしから本の間にはさむ。二週間後、まだ一通の手紙もルイーに届かない。がっかりするルイーに、ジェーンはあたしって友だちができたんだからあたしと文通しようという。
 見事にとらえられたルイーの心の動きがこの作品の魅力だ。著者のジャン・マークは『サンダーとライトニング』『ハンドルズ』で二度カーネギー賞を受賞した八十年代イギリスの代表的作家で、ユーモアを交えながら鋭く子どもの心の動きをとらえることで知られている。
 家が売れたことを教えてくれなかったといってグレンダをせめるところや、毎日引っ越しのトラックがくるのを見張っていながらグレンダに会うともう行っちゃたのかと思っていたとわざと意地悪をいうルイーに、たった一人の友だちがいなくなってしまうルイーの恐れや寂しさが感じられる。しかもかわいそうに、別れをつらく思っているのはルイーだけなのだ。グレンダにとってルイーはただの友だちで、グレンダはルイーの気持ちにいたって無関心だ。文通の話にもグレンダは気乗りうすで、ひみつのポストに使う本の題名もわすれちゃうかもしれないという。一人相撲をとっているルイーに憐れさがつのる。借りてきた本にはさまっていたバスのキップの番号から運勢をうらなって、うきうきしながらグレンダの返事を待つルイーの姿は印象的だ。それだけにグレンダに裏切られたルイーの落胆ぶりは胸をうつ。
 図書館の本を利用したひみつのポストやペンフレンド求むの広告を本にはさむユニークなアイディアは、この作品のもうひとつの魅力だ。また母親の本を目立つところに並べかえるジェーンや、本を油いためにする想像など作者のユーモアには思わず笑いをさそわれる。
 図書館はライブラリーだが、ルイーたちの早口でライベリーになり、ライベリーの木、はてはライベリージャムまででてくる。ライベリージャムに合わせてトラフィクジャム(交通渋滞)も使われる。このほかにも、原題のThe Dead Letter Box(配達できない手紙のポスト)のdeadをもじった言葉遊びなども見られる。訳には苦心されたことと思う。(森恵子)
図書新聞 1989年4月8日