ヒルベルという子がいた

ペーター・ヘルトリング 
上田真而子訳 偕成社 1974/1978

           
         
         
         
         
         
         
     
 私が児童書と出会ったのは大人になってから。で、読み続けているってことは、大人にとって面白い物語が児童書には一杯あるのを証明しています。ただしあくまで、私という大人にとってですけど。ここでは、そんなのをご紹介していきます。
 この物語が書かれたのは1974年。25年前。でも、今読み返しても、古びていません。
 主人公ヒルベルは色んな問題を抱えてしまった子どもの世話をする施設にいる10歳の子ども。出産の時、産道を出られず、仕方なく鉗子で引っぱり出されたためか、頭痛持ちで、時々キレたりする。
 彼はおそらく、「障害児」という括りにいれられてしまうだろう子どもなんやけど、この物語のすごさは、ヒルベルの側に立って、彼の素晴らしさを持ち上げるわけでなく、ましてや彼を子どもの象徴として抽象化するでなく、性急に社会や大人を糾弾するでなく、ただただ、ヒルベルという子が何をどう感じていたのかだけを冷静に描いている点。
 例えば、ヒルベルは天使のような美声なので、近所の教会は彼に歌わせるのですが、そのとき伴奏のオルガンが入ると、もう、歌えない。何故? それは自分が歌っているメロディと オルガンの伴奏のメロディが違うから。
 もちろん、私たちは伴奏と主旋律が違う意味は解っている。でも、それを解らないヒルベルの思考回路を否定することはできないんじゃないかな、ってこれを読んだとき思った。彼なりにそれは筋が通っているんだから。自分をヒルベルだと思って読むと、彼の行動は納得がいく。なのに、外側から彼を見ると、ヘンに見えてしまう。そのギャップのありようを、こんなにクリアに示してくれた物語はちょっとない。
 だから「当たり前」という、私の中に染みついた常識を洗い流してくれるようでした。「子どものために」なんて、おためごかしはいささかもなく、無駄のない短いセンテンスを使用し、大事なことを淡々と描いていくこと。
 そんな物語の方法に、作者の子ども読者への信頼感が明確に見えています。(ひこ・田中)
TRC新刊児童書展示室だよりNo12 1999/06/23