ひとりぼっちの不時着

ゲイリー・ポールセン
西村醇子訳/くもん出版

           
         
         
         
         
         
         
    
 全く無人の環境に一人残された人が、サバィバルする物語は、これまでもたくさん書かれてきました。でも、ごく普通の(スーパーマン的でない)子どもの視点から、納得いくように描かれたものは、案外少ないような気がします。
 「ひとりぼっちの不時着」の主人公ブライアンは、十三才の都会っ子。離婚して出ていった父親を訪ねる途中、小型飛行機の操縦士が急死、墜落。奇跡的に一人生きのびたものの、カナダの広大な森林地帯の湖のほとりに投げ出されてしま います。手元にあるのは、母親からもらった手斧だけ。物語は、少年が火をおこすことや鳥や魚をとることを一つ一つ身につけていく過程を、丹念に描きます。彼がまず悩まされたのが、蚊の大群。「……どんな本にも、戸外生活を扱った番組にも、蚊や蝿のことなんかでてこなかった」という悲鳴は、情報だけは多く経験の少ない現代の子の本音でしょう。どんなサバイバル番組を思い出しても、目の前の現実には、歯がたたないのです。
 ブライアンが弱さをもった等身大の現代の子であることが、きちんと描かれているからこそ、そんな彼が苦心の末とった初めての魚の描写には、思わず引き込まれるような迫力がありますし、悲惨な状況にもかかわらず、生活を一から築いていく少年の素朴な喜びが、読者に伝わってくるのです。
 本音でサバイバルする子ども像としては「海辺の王国」(ウェストール作/坂崎麻子訳/徳間書店刊)の主人公、十二 才のハリーも、魅力的です。戦時下、家族を空襲で失い、悲嘆にくれた身の上なのに、初めて外で空襲を目のあたりにしたハリーは、思わず「なんてすごいんだ花火大会よりすごい」と感嘆するのです。無人の環境をサバイバルするブラィアンと違って、ハリーはさまざまな人人の間をサバイバルしていくのですが、この二つの物語はともに、等身大の子どもの本音を捉えているために、従来のサバイバル物語よりもずっと、読者の子どもに迫っていく力を備えているのだと思うのです。(上村令
徳間書店 子どもの本だより「児童文学この一冊」1994/7,8