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一読して、おもしろいの一語に尽きると思ったこの物語。並はずれて豊かなこの作者の想像力は、現代という時間的設定を巧みにおさえて、その導入部で不思議と現実を合流させ、モグラ社会に伝わる伝説のモグラ「サンジ」を自由奔放に活躍させる。生まれてまもなく自分から巣立ちを試みた元気もののサンジが、逞しい好奇心と行動力でモグラの習性からはみだし成長していくさまは、管理教育にスポイルされた現代の子どもを見返しているようでとても頼もしい。そして何でも食べろという母モグラの教えを守って、果ては人工衛星を食べるに至る痛快さ。作者は初めにしっかりモグラの習性を描いておきながら、サンジが冒険をくぐり抜けるたびにエスカレートして身につけていく非現実的な超能力を、ごく自然に読者に納得させる形で描いていく。またここには人間を見つめる作者の目が、ちょっとシニカルな、またうんとユーモラスな笑いとして散りばめられていて、ちょっぴりの人間風刺から、かなりな(ゴルフ場の場面)、露骨な(工場拡張の場面)社会風刺へと、おもしろさが加速されていく。若くて元気で無垢なサンジは忘れられない星の味を求め続けて、はからずも落下中の人工衛 星の「きわめて危険なエネルギー物質」を食べつくし地球を救って神に感謝されるのだ。だが、さすが岡田ファンの私も「岡田さん、ちとワルノリじゃないですか」といいたくなるくだりもあり、深刻な環境汚染や商業主義の問題が、サンジの「フン」という形でこうも安易に解決されるなら、と突き当たるものを感じないでもない。儲けることより自然を大切にと考えなおす社長さんの人格に首をかしげる私は「まじめモグラ」の血族なのであろうか。しかしこの作品には、昔話の型をふまえた現代のメルヘンとしての味わいがあり、作者はここで、人が空想し創造することは、人間性がやむなく文明の進歩に侵食されていくことへの挑戦であり、救いであることを物語っているのだと思う。反面、冒険物語としての異型のおもしろさは、漫画家志望だったという作者のまさにすぐれた漫画の世界である。そしてなんともユニークな「星の味」は、この作者の想像力の味とでもいえようか。 一九八◯年代は、日本の児童文学は「おもしろくない」という定説を突きくずして、エンターテインメント作品が年々盛んに世にではじめた時代であった。それは、悪貨が良貨を駆逐するという憂いの声をよそに、とどまること知らずの勢いで書店の棚をにぎわしていった。しかしその全てが、読者サービスのみのからっぽの笑いに満ちみちていたわけではない。この波に乗って、書き手のユニークな個性や深い思想性に支えられた良質のおもしろさが数多く生まれてきたことも確かである。岡田淳にして然り。尤も、学校と子ども集団の問題を主題にした作品に、作家主体にひそむ教師の願望の現われを指摘する評者もなくはないし、また取りあげられている現実社会の問題に的をしぼって評すれば、申すべきことも色々あるだろう。しかし彼の奔放な空想力が生みだす物語の味は、即物的な豊かさにどっぷり浸かり切っている現代の子どもたちに、真の心の豊かさをもたらすための何ものかを与えてくれるのではないかと私は考える。また、評価の高い作品が思春期、アダルトのレベルに集まりがちないま、私は岡田を、子どもを置き去りにしない現代児童文学の貴重な書き手であると考えていたい。(持 田槙子)
児童文学評論 1994
テキストファイル化 目黒強
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