パパのさいごの贈りもの

ジーン・リトル

茅野美ど里訳 偕成社 1988

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 老いと死というテーマでおじいさんやおばあさんの死を扱った作品は目にするが、親の死を扱った作品はほとんど見ない。子供にとって親の死は祖父母の死よりも直接的で受入れ難く、それだけ書く側には難しいテーマだからだろう。本書は『パパのさいごの贈りもの』という題名からも察せられるように、父親を癌で失う少年の物語である。
 ジェレミーは小学六年で四才下に妹のサラがいる。お父さんはジェレミーの学校の先生。夏休み、コテージで、ジェレミーとサラは伯母さんと遅れて来る両親を待っている。お父さんが手術をしたので二人は後から来るのだ。三週間後コテージに着いたお父さんは元気がなかった。伯母さんが発って家族四人になったとき、お父さんは、「パパは癌なんだ」と打ち明ける。
 お父さんの体を心配しながらも一家がコテージで過ごした一週間の間に、お父さんは色々な贈物をしてくれた。ジェレミーはお父さんと二人で、夜、ふくろうを見る。バードウォッチングが好きな二人の心が通い合った素敵な時間だった。お母さんの誕生日に、お母さんばかりでなくジェレミーとサラにもプレゼントがあった。ジェレミーはふくろうの思い出にふくろうの置物、ホウを貰う。また、お父さんは貰い手を捜していた子猫ブルーをジェレミーに貰ってくれる。そして、お父さんはジェレミーに、お父さんのクラスだったテスと友達になってほしいと言う。テスはおじいさんと二人暮らしで、おかしな服を着て学校ではいつも一人ぼっちの女の子だ。ホウ、ブルー、テスはお父さんの死後ジェレミーの大きな心の支えとなる。 新学期が始まった日、お父さんは入院する。それからしばらくして、お母さんはジェレミーに、お父さんはもうよくならないと打ち明ける。翌翌日、ジェレミーとサラは病院にお父さんを見舞う。一週間後、お父さんは死ぬ。お葬式の後、お父さんのいない三人の暮らしが始まる。
 ここから後半、父親の死をいかに乗り越えるかが話の焦点になるが、テスが大きな役割を果たす。お父さんに友達になるように頼まれたが、女の子だし変わり者だし、最初、ジェレミーはテスと話すのを渋った。しかし、先生としてジェレミーの父を慕い、人の気持ちが分かるテスに好感を持ち、ジェレミーはテスにお父さんが癌なこと、もう治らないことなどを話す。
 父の死後初めて登校した日、テスはジェレミーに話しかけ気持ちをほぐしてくれる。親しくなったジェレミーに、テスは自分の不幸な生い立ちのことを話して聞かせる。望まれない赤ん坊だったこと、後で母親に捨てられたこと、テスは忘れるのが一番楽だと言う。ジェレミーはテスの話に父の死を重ね合わせ、その通りだと思う。その後ジェレミーの一家は、テスのおじいさんがやっているテスのアパートに引っ越す。そこでジェレミーの一家はテスとテスのおじいさんと打ち解けて、一つの家族のようになる。 それだけ親しくなってもジェレミーがテスと話すのは教室の外でだけで、まだ皆にテスと友達だと知らせる勇気はない。その勇気がクリスマスのコーラスの練習のときにでる。テスと本当の友達となったジェレミーは、父の死も乗り越える。お父さんのいないつらいクリスマス、お母さんのために靴下に大切な思い出のホウを詰めながら、ジェレミーはクリスマスの喜びを感じ、もうお父さんを忘れたいとは思わなくなる。
 ジェレミーに父親の死を乗り越えさせるために、テスを登場させたのは成功だと思う。テスの出生などストーリーに起伏が出たし、ジェレミーの心の成長も自然で納得できるものになっている。テスは、小学校のとき目が悪いことで級友から仲間はずれにされた経験のある作者の分身だろうか。
 テスの使い方もうまいが、本書の魅力はこわいほど正確に描いたジェレミーの気持ちにある。お父さんが死んで感じた「巨大な手でにぎりつぶされるような痛み」、お葬式の日の「ふつうの幸せを最後にあじわってから、もう何年も経ったような」気持ち、お葬式の夜宿題に熱中するジェレミー。「パパのことを思いだすと、さびしくてこわくて、頭がこんがらがってきて、思いださずにすんだらと、心の底から願わずにはいられない」ジェレミー。親の死を体験した人なら分かるであろう、全て本物の気持ちである。また、お母さんやサラの気持ちもよく書き込まれている。本書がカナダ図書館協会の年間優秀賞とルース・シュワーツ子どもの本賞を受賞している所以だろう。
 また父親の死という重い問題を扱いながらも、本書はちっとも暗さを感じさせない。辛いなかでもなぞなぞを出して子供たちを笑わせる、明るい行動的なお母さんとジェレミー達一家の前向きな姿勢が暗さを吹き飛ばしているのだろう。 ジェレミーの立場にいて本書を読む人、こわいものみたさで読む人、様々だろうが、爽やかな共感を呼ぶに違いない。(森恵子)
図書新聞 1988年9月24日