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この物語、とても奇妙で、強烈な印象を残します。アタイは弟と二人で公園に向かう。そこの噴水に集まっているハトを見ようというのだ。と、歩道橋で警官に止められる。この先に穴があいたから渡ってはいけないと。仕方なく、遠回りすると、友人のヤキブタがやってくる。お父さんに頼まれて新聞を買いに行ったら、全く売っていなかったという。国道を走る車はなぜか少ない。公園をあきらめて、学校に行こうとすると、町内のスピーカーから、今日は学校が休みだと知らされる。TVも映らない。そこで様子を見に行ったお父さんが帰ってきて言うことには、「ピロピロになった」。このピロピロが何なのかアタイはさっぱりわからない。ただピロピロになり、道路にはバリケードが出来、空をヘリコプターが飛び回る。大人たちはそれに甘んじるばかり。アタイと友達は、商店街のアーケードに登り、公園を見る。と、そこにはギロチンがおいてある。何のために? ピロピロだから? アタイたちはギロチンの模型を作り、それで嫌いな人に見立てた野菜を切る。ちょん、と切れたからそれはぎろちょんと銘々される。 次に日、黒い塀ができていて公園の中は見ることができない。ピロピロは終わったらしく、親も友達も何事もなかったかのように日常に戻る。黒い塀で囲まれてしまった公園をもう誰も気にしない。アタイを除いては。 で、物語はいっさいが解き明かされないまま終わってしまいます。 これほど最初から最後まで「不安」だけが漂っていて、そのくせ大人の管理を逃れた一瞬に生成される自由の楽しさもある物語はちょっとないですね。当時これを読んだ子どもたちは、題は忘れていてもこの「不安」と「自由感」は今でも覚えていると思います。大人である私はある種の「戒厳令」として読んだわけですが、それを子どもの側から描くとこうなるのかと、感心したのです。(ひこ・田中)
TRC児童書新刊案内2000/07
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