「ピーター・パン」

アーサーラッカム絵 J・M・バリー作

高橋康也 高橋ゆう作訳 新書館

           
         
         
         
         
         
         
    
 ビアトリクス・ポ夕ーと同じ、今世紀初頭のイギリス・ヴィクトリア朝時代の画家に、アーサーラッカムがいます。実際、このふたり、一年違いで同じロンドンに生まれ育ち、同時代を全く異なった個性で、それぞれに絵本の世界を作り上げていきました。
 ラッカムは、十二人兄弟の四番目、大勢の兄弟の中で揉まれるように育ちながら、小さい頃は虚弱体質で学校も中退したという話。後に、保険会社に勤めながら、好きな絵の勉強を続け、ようやく才能が認められて、雑誌「ウェストミンス夕ー・パジェット」のス夕ッフ画家として雇用されたのが、一八八五年十七歳の時だといいます。以後、ピー夕ー・パンをはじめ、グリム、アンデルセン、アリスやマザーグースなど、よく知られた子どものための物語はほとんど手がけ、当代一の人気イラストレーターとして大活躍します。
 その仕事を支えたのが、当時開発された印刷の新技術「写真製版」。絵をそのまま写真に撮って印刷の原版にするこの新技術によって、画家はためらうことなく複雑な線を描き、淡い色調や絵の具のにじみを駆使することができるようになったわけです。確かに、前出のコールデコットの作品に比べると、雰囲気が随分と違います。
 ラッカムの代表作『ケンジントン公園のピー夕ー・パン』を見ると、当時流行のアール・ヌーボーの影響多大なやたらとくねくねとした複雑な線、セピア色を基調にした暗く沈んだ色調、妙に写実的でリアリティのある人物描写などなど。ラッカムにかかると、非現実的な物語が、ちょっとグロテスクなほど克明な描写によって、妙な現実感を持ち、一層の神秘性を増してきます。小さい体にアンバランスなほど大きな頭、子どものような姿のくせに、妙に老けた顔の小人。手足の細い華奢な体つきの美しい妖精は、透けるようなドレスを身にまとい、薄い大きな羽を背に、髪を風にたゆたわせながら宙に浮いています。ラッカムが、後世に残した造形的な影響は数知れませんが、それにも増して大きいのが、物語性と少々暗い叙情性でしょう。
 ラッカムは、子どもに水準の低い絵や文学を与えることを強く否定し、「手に入れうる最優秀品だけが、一生の基準が形成される、幼い、感受性の強い年齢期にはふさわしい」と語りました。その絵は、質のよりよいアート紙に印刷され、薄紙をのせて一枚一枚丁寧に台紙に貼られ、物語の合間合間にはさみ込まれて美しく装丁されました。そしてその本は、子どもたちが気軽に手にするというよりも、中産階級のギフトブック、収集家向けの限定豪華本として一世を風靡することになります。(竹迫祐子)
徳間書店 子どもの本だより「絵本、昔も、今も・・・、」1998/5,6