ポケットの中の野生

中沢新一

岩波書店


           
         
         
         
         
         
         
     
 「ついにポケモンがマリオの記録をクリア」なんて言っても、本紙の読者には何のことだかわからない人が多いに違いない。「ポケモン」というのは、任天堂の携帯用ゲーム機「ゲームボーイ」用のソフト「ポケットモンスター」の通称。それがファミコンの超人気ソフト「スーパーマリオブラザーズ」の出荷本数、六百十八万本を超えたということなのだ。マリオは、既に十二年前から発売されているが、ポケモンは昨年の二月に発売されたものだから、この間の数字の推移だけを見ても、ポケモン人気がどれほどのものなのかがよくわかる。今年の四月からはテレビアニメも始まり、関連商品も大人気だ。ポケモンのマンガを連載している『コロコロコミック』などは、この夏に発行数が二百万部を超え、堂々月刊誌のナンバーワンに躍り出た。
 この爆発的な人気の秘密はどこにあるのか。 著者の中沢氏は、ポケモンのゲームデザイナー田尻智氏との対話の中での「時代や環境によって変らない子どもたちに潜む衝動」という田尻氏の言葉に触発され、それはレビィ・ストロースなどのいう「野生の思考」にほかならないとして次のように述べる。“野生の思考はいわゆる未開社会の独占物ではない。現代の社会のまっただなかでも、それはまだ生き残っている。それどころか、ときにはまわりの「まともな大人」のひんしゅくを買うほどの、大変な繁茂をとげていることさえある。テレビゲームがそのような世界のひとつなのだ。そして、『ポケットモンスター』というゲームは、そのなかでもとりわけ、子どもたちの中に眠っている無意識下の衝動に、すなおで豊かな表現をあたえるのに成功した。そのとき、子どもの衝動は、野生の思考に姿を変えるのだ。”
 そして著者は、テレビゲームと子どもの無意識との関係を明確に取り出すために、テレビゲームが誕生した頃の『インベーダーゲーム』体験をつぶさに検証し、その特徴は精神分析学がいう「対象a」の特徴に一致すると見抜いてみせる。ここから先の展開が、なかなかエキサイティングだ。「対象a」と「野生の思考」をリンクさせながら、日本の近代が「子ども」を見出して以来、「まともな大人」たちの近代知によって排除され続けてきた、意識の「へり」から染み出してくるような無意識の欲動に光を当て、そこから子どもの心にとっての怪獣やウルトラマンやインベーダーの存在意義を照射する。
 ともすると、大方の子どもプロパーに忌避されがちな流行ものの多くが、「対象a」に場を与え、「野生の思考」を蘇らせるという視点は、今日の子どもたちが追い込まれている困難さを考える上でも有用であり刺激的である。 どうしてポケモンがこれほどまでに子どもたちの心をつかんだのかを探っていくうちに、中沢氏は、“とうとう無意識の深い森にさまよい込むことにさえなった”という。そこで著者は、二つの重要な考え方を見出だした。一つは、コントがいう「森の神」の存在を子どもたちはおぼろげながら心の奥で感じ取っているのではないか。ポケモンはそれを感じさせるように作ってあるのだということ。もう一つは、通信ケーブルを使ったキャラクターの交換は、人類学のいうところの「贈与の霊」だととらえてみせる。 ポケモンという、子どもたちの中での流行現象を、情感を込めて子細に分析する中から、著者は実に画期的な子ども論を提示した。そしてこれは、優れた現代文化論でもある。(野上暁

『図書新聞』1997年11月8日号掲載