まほうのスープ

ミヒャエル・エンデ

ティーノ絵 ささき たづこ訳 岩波書店 1991

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデの最新幼年童話。絵本というにはお話の部分が長く、単に物語というにはあまりにも絵が美しい絵物語。
 昔ある所に高い山があり、その山の両側に右王の治める右の王国と、左王の治める左の王国があった。山は大変険しかったので、両王国の行き来はなく、互いに相手国のことはほとんど知らなかった。またそれぞれの王国はとても小さかったので、国を治める仕事はそれほどなく、両王様はそれぞれのお后様とトランプやミニゴルフあるいはバドミントンをしてすごしていた。あるちょうど同じ頃に、右の王国には王子が、左の王国には王女が生まれ、それぞれザフィアン王子、プラリーネ姫と名づけられた。赤ちゃんの洗礼式にはそれぞれの親戚が多数招かれたが、どちらの王国からも招かれなかった人が一人いた。右王からも左王からも、数えて13番目にあたる親戚で、鬼火のゼルペンティーネという悪い魔女だった。怒ったゼルペンティーネは、招かれてもいない二つの洗礼式のそれぞれに押しかけ、それぞれの王国にいじわるプレゼントをした。右の王国へは、それと対になっているスプーンでかき混ぜると、いままで飲んだことがないような、おいしくて栄養のあるスープが尽きることなくあふれてくるという魔法のスープ鉢を、そして左の王国へは、逆に、それと対になっているスープ鉢をかき混 ぜると、そのスープ鉢には、いままで飲んだことのないような、おいしくて滋養たっぷりのスープが尽きることなくあふれてくるという魔法のスプーンをそれぞれ贈ったのだ。そしてその対になっている魔法のスプーンとスープ鉢は自分で見つけろと言って立ち去ってしまう。
 魔法の道具の片割れずつをもらった両王国の王様とお后様は、それぞれの道具と対になっているスプーンとスープ鉢を見つけだすべく、国中のみならず世界中を捜させる。しかしなぜか、両国とも隣の国にだけは行かなかったため、長いこと互いに捜しているものが見つからなかった。
 ところが、やがて、成長して親しくなったザフィアン王子とプラリーネ姫によって、互いに相手国に、自国の捜しているものがあるとわかる。互いに持っているものを合わせればいいだけだという王子と王女の説得にもかかわらず、両国の王様とお后様は相手国が持っているものを手に入れることに固執し、色々と画策し、やがて戦争へと発展する。
 人間の愚かさや利己心、そしてそれらを逃れられない人間の悲哀など、エンデらしい人間性に対する深い洞察や諷刺を、ユーモラスなストーリー展開の中にしのばせ、その中で人間にとって本当に大切なことは何なのかを考えさせる楽しい童話。また『はてしない物語』を連想させるスプーンとスープ鉢の絵が交互に限りなく繰り返される絵柄のアイディアもおもしろい。(南部英子)                       
図書新聞 1991.7.27
テキストファイル化 内藤文子