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子どもだって腹がたつ。でも腹のたつ相手が大きくて理不尽な大人の場合、悔しいけれど子どもは泣くか黙ってひっこむかしか方法がない。この悔しさを見事晴らしてくれるのがマチルダだ。 大人をやっつけるのだから、マチルダは普通の女の子ではない。一歳半でなめらかにしゃべり、三歳になる前に字が読め、四歳でディケンズやヘミングウェイの作品を読みこなす天才少女だ。ところが両親は娘のことを「かさぶた」ぐらいにしか思っていない。マチルダが本を買ってくれといっても、テレビがあるから本はむだだと言って買ってくれず、しかも、ひっきりなしに物知らずだ、ばかだとマチルダをどなってばかり。マチルダは気が狂うのを防ぐため、親に仕返しする方法を考える。父親の自慢の帽子に強力接着剤をぬったり、オウムを使って幽霊騒ぎをおこしたり、父親のヘアトニックに染毛剤をまぜたりする。 小学校へあがると、女の校長先生が、生徒を憎む「すさまじい暴君的モンスター」だった。マチルダの仕返しの対象はこの先生にうつる。校長先生の授業の時、マチルダは先生の水差しにイモリを入れた犯人にされる。身に覚えのない犯人にされて、マチルダは怒り心頭に発する。この時、マチルダは自分の超能力を発見する。目でイモリの入ったコップを倒すのだ。 ここまでは単にマチルダの仕返しの繰返しだが、ここから、がぜん話は面白くなる。校長先生の正体が明かされるのだ。彼女はマチルダの大好きな先生、ミス・ハニーの伯母で後見人だったが、ミス・ハニーの財産を横取りしているのだ。マチルダはミス・ハニーを助けようと超能力にみがきをかける。二回目の校長先生の授業の時、マチルダは計画を実行にうつす。目でチョークを動かし、黒板に字を書くのだ。効果はてきめん。校長先生は村から逃げだし、ミス・ハニーに家がもどる。学校には新しい校長先生がきて、マチルダは最上級にうつされる。 これでめでたしかなと思うと話にはもうひとつおまけがついている。マチルダにとっては災いの種でしかない両親もいなくなる。父親の悪事がばれて急遽一家は国外に高飛びとなるが、マチルダは両親の許可をえてミス・ハニーと残るのだ。マチルダの父親のインチキ中古車販売の仕事がうまい伏線としていきている。 さて、子どもならずとも胸がスーッとするこの物語の作者は、ロアルド・ダールだ。ダールは昨年亡くなったが、『チョコレート工場の秘密』や『おばけ桃の冒険』といった奇想天外な作品で子どもに人気抜群の作家である。マチルダの物語は、ダールの作品の中で、『魔法のゆび』とならんで気に入らない大人をこらしめるものだが、ダールの作品にしてはその奇抜すぎる着想が気にならない作品だ。天才少女だが、マチルダは捜せばいそうな女の子だし、目を使っての超能力もあり得そうだ。また、『魔女がいっぱい』のように魔法はとけないのとは違い、マチルダの超能力は消えてしまうし、説明つきなのだ。 奇想天外さが減った分面白さも減ったかというと、そうではない。その反対だ。マチルダの仕返しも真実味をまし、楽しめるのだ。クェンティン・ブレイクの絵もいい。 作品を貫くのは、弱き者の強気者に対する断固たる戦いであるが、戦うのはマチルダだけではない。罰の巨大なチョコレートケーキを見事たいらげて校長先生の鼻をあかすブルース少年や、「ゴールデン・シロップ」や「むずむずパウダー」を使っていたずらを繰り返すホルテンシアなど、皆、見上げた反骨の精神の持ち主だ。そして、この反骨の精神の持ち主の代表はダール自身であろう。文学的価値が低いとか言われながらも、子どもの本には滑稽味が必要だと奇想天外な物語を書き続けた。そして結果は--「彼はサキのブラック・ユーモア的伝統に立つ最も傑出した作家といってさしつかえない。…子どもたちはダールの物語を愛し、長い年月にわたって彼を一番好きな作家に選んできた。まことにすさまじいばかりの人気であった。将来、彼の作品は古典になるだろう」(『タイムズ』)(森恵子)
図書新聞 1991年7月20日
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