見えない雲

グードルン・パウゼヴァング

高田ゆみ子訳 小学舘 1987

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 史上最悪と言われるチェルノブイリ原発事故から二年たったが、原子力発電に対する人々の関心は高まる一方である。原爆とちがって原子力の平和利用を目的とする原発も、事故が起これば原爆と同じように人間の生活を破壊する。事故がおこったチェルノブイリは現在も立ち入り禁止だし、放射能汚染食品はヨーロッパばかりでなく日本でも問題になっている。原発事故から九年もたつスリーマイル島では、癌になる人がふえているという。放射性物質プルトニウムは、スプーン一杯ほどの量で何百万人もの人々を殺し、また放射能の力が半分になるのに二万年以上もかかるという恐ろしい物質である。事故の後、原発関係の映画やビデオが作られ雑誌にも盛んに取り上げられ、八十冊もの本が出版されたという。
 本書もチェルノブイリ事故をきっかけに書かれた一冊だが、もし西ドイツで原発事故が起きたらと仮定した未来小説である。著者は原発事故を少女の体験を通して語っている。表題の「見えない雲」とは放射能を含んだ雲のことである。
 ヤンナーベルタは十四才の少女。両親は原子力利用に反対している。事故が起こったとき両親は留守で、仕方なくヤンナーベルタは弟のウリと二人で自転車で避難する。駅に向かう途中、自動車にはねられてウリは死ぬ。動転したヤンナーベルタは彼女を心配してくれる人々についてさまよううちに、雷雨にあってびしょぬれになり被曝する 気がついたとき、ヤンナーベルタは病院に寝かされていた。病状はそれほどひどくはなかったが、高熱や下痢が続き髮の毛が抜けた。彼女は、発電所近くにいた両親が二人とも死んだと知らされる。ヤンナーベルタはヘルガ伯母に引き取られる。しかし帽子をかぶれと体面ばかりを重んじるヘルガ伯母に我慢できず、自分も被曝し赤ちゃんを生むのを諦めた母の妹のアルムート叔母の下に身を寄せる。ヤンナーベルタはそこで、被曝者センターの設立準備を熱心に手伝う センターがオープンした後、ヤンナーベルタは三カ月たってやっと立ち入り禁止が解除された故郷の街に向かい、ウリを埋葬してから自分の家に帰る。家にはバカンスでマジョルカ島に行っていた祖父母が帰っていた。何も知らされていない二人に、ヤンナーベルタは帽子を脱いで全てを話す。
 読みながら、レイモンド・ブリッグズの『風が吹くとき』を思い出した。原爆と原発の違いはあるが、何の罪もない人々が放射能にやられる--病院を見舞いに来た大臣に石の人形を投げつけたヤンナーベルタではないが怒りがこみあげてきた。そして被曝すること以上に残酷で腹が立つのは、被曝者を差別する世間の目である。ヤンナーベルタのはげた頭に好奇と憐れみの視線を注ぐ人々。汚いものでも見るように友達は彼女を避け、誕生パーティーへも呼んでくれない。被曝した友達のエルマーは全てに絶望し自殺する。被曝者は二重の苦しみを味わわねばならない。
 被曝者に対する差別もそうだが、事故に伴って人間の獣性が暴露される。スピードを落とさずウリをはねた車や、逃げようとした原発の周辺地域の人々が警察や軍隊に殺されたことなどである。救いは、事故への反省を促すため被曝者の連帯組織を作ろうとするアルムートたちの勇気や、鳥を残しては逃げられないと言ったウリの優しさなどであろうか。
 本書がただ原発事故を扱っただけで終わっていないのは、人間の獣性を掘り下げた点にある。また構成の巧みさも本書を優れた作品にしている。多感な少女の体験としたことで読者にも様々な気持ちが手に取るように伝わってくるし、ウリの死や鳥のココのエピソードも効果的である。特に痛烈なのは、家族の死を何も知らされていない祖父母がヤンナーベルタに会う最後の場面である。二人は何も知らないばかりか、原発賛成論者である。鳥籠の中で死んだココを悲しみ、事故のことで皆大騒ぎしすぎていると言う。ヤンナーベルタの話を聞いて、二人は何と言っただろうか。 著者にはこの作品に先立って、原爆を扱った『最後の子どもたち』があるが、両作品を通して訴えたかったことは一つ--教師として母として「何も知らなかったとはもう言えない」である。テレビで「ビキニ核実験はこうして行われた」を見た。尚更この言葉が実感として迫ってきた。(森恵子)
図書新聞 1988年4月30日