夜物語

パウル・ビーヘル

野坂悦子訳 小笠原まき絵 徳間書店

時の旅人

アリソン・アトリー

松野正子訳 岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
     
 しぶりにどっぷりと物語の中に漬かって楽しんだのが『』だ。作者は、かの『千夜一夜物語』を意識して書いたようだが、その手の内を百も承知で引きずり込まれていく心地よさ。物語の醍醐味がここにある。シェへラザードの代わりに毎夜お話を語ってくれるのは、昼になると姿が見えなくなってしまう、小さな妖精。聞き手は、古いお屋敷を守っている小人である。
 ある嵐の夜、一晩だけという約束で妖精を屋根裏に泊めてあげるが果たして妖精の語る物語のとりこになった小人は、次の夜もその次の夜も妖精を追い出すことができなくなる。「結婚して子孫を残して、死んでみたい」という望みを持ったために妖精がたどる波乱万丈の物語に読者もまた、続きが読みたくて頁を閉じることができなくなる。
 何と言っても妖精の語るお話がおもしろくなくては、この物語は成立しないのだから、これは力技だ。その上、小人を取り巻くどぶねずみやひきがえるの世界、さらには、お屋敷に一人で住む老婆にも、それぞれ物語は進行していて、クラィマックスで一気に三つの物語が溶け合う。見事な手法だ。
の旅人』は、以前初訳が出た時に読んで、主人公の少女が時を行ったり来たりする不思議さに心を奪われ、大いに触発された覚えがある。この度、岩波少年文庫版で出版された新訳では細部の描写を楽しみながら読んで、改めて作品世界の魅力を堪能した。
 物語の舞台は英国北部の田舎ダービシャー。作者のアトリーが生まれ育った場所だ。十六世紀の英国で、スコットランドの女王メアリーと従姉妹のエリザべス女王との確執を巡って起きたある事件の舞台になった所でもある。
 ロンドンから、たまたまその地に来た主人公の少女は、いく度か時の壁を通り抜け、当時そこで生きていた人々と募らしを共にする。荘園の領主は一身を捧げて悲劇の女王を救おうと、秘密の脱出作戦を企てる。
 しかし、少女はすでに悲劇的な結末を知っているから、人々との出会いは哀切を帯びたものとなる。
 作者自身の少女時代の夢の中での体験が、この物語のもとになっているそうだが、登場人物は実に存在感がある。また、十六世紀当時の暮らしぶりを再現するために、作者が細部描写に注ぎ込んだ情熱は並大抵ではない。全編いたるところで効果的に使われるハーブの香りは、読み終わった後まで余韻となって残る。
 巻末の詳しい注釈もうれしい。(末吉暁子)
MOE1998/08