ムーミン童話とはなにか?

高橋静男

於・大阪府立国際児童文学館(講演録)

           
         
         
         
         
         
         
    
 会場の皆様。
 悪天候にもかかわらず、遠路はるばるお越しいただきまして、有難うございます。

 しかし、皆様、御存知でしようか? 
 ムーミン童話の作者、トーベ。ヤンソンさんは、お父さん譲りの「嵐大好き人間」です。
 幼い頃、彫刻家の父ヴィクトル・ヤンソンに、白夜の嵐の海や、真冬の夜の大火事見物に、連れ出されています。
 ムーミン童話にも、嵐はもちろんのこと、地球に衝突しそうな彗星や、竜巻や、自分で根っこを引き抜いて逃げ出す木のことなど、たくさんのカタストロフィー場面が織り込まれています。
 つまり、今日は、トーべ・ヤンソン日和と言えるのかもしれません。

 さて今日は、「ムーミン童話とはなにか?」ということをお話しさせていだだくのですが、ムーミン童話の作者トーべ・ヤンソンの8O才の誕生日を記念して、4年前に行なわれましたトーべ・ヤンソン国際会議で話しました基調講演をべースにして、進めてみたいと思います。

 ムーミン童話のほとんどすべての作品に、自分を見失う人々、存在感を失う人々、表現をかえればアイデンティティの危機に見舞われる人々が登場しています。
 ムーミンパパ(3回)、ムーミンママ(2回)、ム一ミン卜ロール(2回)、3人のフィリフヨン力、モラン、漁師、スナフキン(2回)、3人のへムレン、はい虫、ニンニ、サロメちゃん、その他です。 しかし、彼らはやがては全員が自己を取り戻し、存在感、アイデンティティを獲得していきます。
 この自己疎外から解放(救済)に至る物語が、延べ2O回以上も繰り広げられ、ムーミン童話全体を覆っています。ムーミン童話は、疎外と解放(救済)の文学であると言ってよいでしょう。

 ム一ミン童話における疎外から解放にいたる様式はかなりはっきりとしています。しかも、その様式は多くの自己解放に共通しています。
 世界に、疎外と救済の児童文学作品は溢れており、それ自体はめずらしいことではありません。 しかし、ほとんどの場合、解放は、自己犠牲、善意、英雄的活動、連帯、同情、正義感、義侠心、奉仕、努力などによってなされています。いずれも助ける目的と、助けたい意志を持ったものによって救済されているわけです。従って、助けられた者は助けてくれた者に対してなんらかの負い目を抱かないわけにはいきません。それ故に<助けた者と助けられた者>とは完全な対等関係になりません。それは、救済された者が救済されたあとに本当の自由を獲得していないことを意味しています。 
 まずは、『ムーミンパパ海へいく』のムーミントロールとモランのエピソードを、次に、『ムーミン谷の仲間たち』の冒頭の作品「春のうた」に出てくるスナフキンとはい虫のエピソードをどりあげます。

 ムーミン童話の多くの登場人物たちはモランを無視するか疎外しています。モランは、全身が真っ黒で、魚のような、黄色いガラスのような、死んだような目をし、他の登場人物よりも身体がはるかに大きく、山のように大きくなるといわれています。強い凍結力があり、モランが現れると付近一帯が夏でも冷え冷えとし,長く座ったところの大地は凍り、永久に草が生えないとか、悪い奴だとか、食べられるおそれがあるとかいわれ、多くの人々に恐れられ、うとまれています。そして誰にも愛されたことがありません。モランの声についてパパは「わたしがいままで開いた声のうちで、一番さみしいもの」と言っています。
 ムーミン童話の最後から2番目の作品『ムーミンパパ海へいく』になると、モランが生きる者としてどれだけ辛い立場にあるかが鮮明になります。
 秋の気配が忍び寄る頃、ママがムーミン屋敷のべランダのランプに火を人れ、家族の者たちがべランダでタ食をしている様子を、モランが庭の茂みの陰に座ってじっと見ていました。やがて、ムーミン屋敷の明るい窓の下まで進みます。ランプの光がまともにモランの顔にあたると、それまで静かだったべランダに、にわかに叫び声が上がり、上を下への大騒ぎになります。家族の者たちは家の奥の安全な場所に隠れ、ランプを消して、声をひそめています。この時、ママは、モランは危険ではない、わたしたちがモランを嫌うのは、モランがとてもつめたいからだ、それにあのひとはだれのことも、好きじゃないからだと、いっています.パパは「モランは危険だ」と言いました。しばらくしてムーミントロ一ルは「ママ」と、なにか言いかけました。しかしママはパパの島が出ている地図に夢中でムーミントロールの声は聞こえませんでした。モランはしばらくの間、人のいない部屋の窓ガラスに霧氷を吹きつけながらじっと立っていました。やがて、ずるずると後ずさりして暗闇の中へ消えていきます。モランはムーミン一家にも受け入れてもらえませんでした。
 ムーミントロールは、昨夜「ママ!!」と、いってからモランのことを考え続けていたらしく、翌朝、5時半頃起きて、タべ、モランが歩いていた庭を見に行きました。そして、モランになったつもりで、背中を丸めてのそりのそりと、モランが歩いたあとを歩き、モランが見ていた屋敷の方を見ました。その時ムーミン卜ロールは、モランが世界中で<ひとりぼっち>ではないかと、想像していたのでした。
 何日かたって、一家はパパの島で新生活を始めるためにヨットで船出します。しばらく進むと、ムーミントロールは「ママ、あいつはどうしてあんなにいじわるになったの」と聞きました。モランのことが何日も話題になっていなかったので、ママには「あいつ」がだれのことをさしているのかわかりません。つまり、ムーミントロールはずっとモランのことを考え続けていたわけです。ママはモランについてムーミン卜ロールに次のように語りました。
「モランは、雨か暗闇のようなものか、通りすがりに、よけて通らなければならない石のようなものよ。モランと話しをしてもいけない。あの人のことを話してもいけない。でないと、モランは大きくなって追いかけてくる。あの人が明るいものを恋しがっていると思っているようだけど、あのひとが本当にやりたいことは、明りの上にすわって火を消し、再び燃えないようにすることなのよ。」こうして、ついに、モランは、これまで誰をも受け入れてきたムーミンママにさえ疎外されている人物であることが、この作品で明かにされます。
 話すことも、話しかけられることもないモラン。ひたすら明りを求めるだけで、人々に嫌われ、避けられ、恐れられ、無視され、敵視され、ママにまで無視され、モランはこの世でひとりぼっちです。モランの存在感は風前の灯火のように見えます。
 ムーミン卜ロ-ルは、ヨットの中であおむけになって、カンテラを見ながらモランのことを考えないではいられませんでした。「ママがいうように、モランに話しかけてもいけないし、モランのことを話してもいけないというなら、モランはだんだんに消えてなくなってしまうではないか。生きていようと考えることさえできなくなってしまうではないか」と想像しました。ムーミン卜ロールはこの問題を解決するには、鏡が役立つかもしれないと思いました。たくさんの鏡をもってくれば、ひとりでも何人にもなれるし、お互いに話しをすることが出来るかも知れいなどとも、考えました。ムーミントロールは、モランが<ひとりぼっち>であることに心を痛め、モランの痛みを感じていますが、どうしたらいいかはわからないようです。
 ムーミントロールは、モランが<ひとりぼっち>であることに思いをはせ、長い時間をかけて、想像に想像を重ねてきました。そして、ついにモランが孤独の極地に立たされていることを察知しました。自分いると思えなければモランは本当に消えてしまうのではないかという危機さえ感じています。モランは危険だと思いこんでいるパパや、暗闇か邪魔な石と同じだと思っているママには、到底想像のできないほどのものを、ムーミントロールは、獲得しています。パパやママではなくムーミン卜ロールだけがモランの悲しみを感じとることができたのは、ムーミントロールが<友だち大好き>だったからではないでしょうか。<友だち大好き>は裏返せば<さびしがりや>であり、<ひとりぼっち>の悲哀を敏感に受け止めることができたのではないでしょうか。<友だち大好き>であればこそ、友だちのいない状況、つまりモランの状況が、生きていかれないほど苦しいものであることを、想像できたのではないでしょうか。それは、ちょうど<自由大好き>なスナフキンがはい虫に会う前にはい虫の<非自由>を察知するのとよく似ています。

 ム一ミンー家がパパの島へ出発すると、モランも海面を氷結させながら一家のヨットのカンテラの明りを追って島へ渡りました。ムーミントロールはパパの島の浜辺で、自由で美しく活動的なうみうまをひと目で気に入ってしまいます。去っていったうみうまを呼びもどすために浜辺にカンテラを灯しました。しかし、やって来たのはモランでした。
 すると、なんと、モランが明りに反応しました。モランは力ンテラの明かりの動きを目で追っています。明かりの上に乗って明かりを消そうともしません。しかし、ムーミントロールは、冷たく、寂しく、動きもせず、海水に浸かっているモランの姿を見ていると、逃げたいとも思いました。しかし、なぜか、その場から動くことができませんでした。
 それ以来、ムーミントロールはどんなことがあっても毎夜のようにモランにカンテラを見せに浜辺へ行きました。強い凍結力のあるモランを浜辺にとどめておくことは、パパの島に危害を与えないようにするためだと、自分に言い聞かせていましたが、本当のところは、モランに明りを見せに行かないではいられなかったのです。モランが明かりに反応し、興味を示したからです。ムーミトロールにとっては、モランと会うことは、大きな出来事であったはずです。なにしろ、モランが消えてしまうと思っていたのに、今は生きているというシグナルを送っているのですから。二人は来る日も来る日も、カンテラをはさんで黙ったまま向い合っていました。
 やがて、ムーミントロールは、モランが危険ではなく、怖くもなく、ただ不気味なだけであることを理解します。もはや、ムーミントロールは、モランを理由なく排除している両親の理解をはるかに越えています。
 ある日のこと、モランがカンテラを見ながらダンスをはじめたのです。さらに何日かが過ぎると、今度は、ダンスをしながらハミングをするようになりました。さらに、灯油がなくなったので、ムーミントロールがカンテラを持たずに浜辺へ行くと、明かりがなくても、モランがダンスをしたのです。モランは、いつのまにか、明りではなく、ムーミントロールを侍つようになっていたのです。そして、ついにモランの身体が温かくなり、それまで荒れ狂っていた嵐や島の大地の異変も治まりました。島は平穏になり、ムーミン一家の不安も消えました。

 やがて灯台に初めて明かりが灯りました。ム一ミントロ一ルは、パパと一緒に散歩に出ると、「友だちに会いに行く」と言って、パパと別れてモランに会いに行きました。モランに初めて友だちができて、この物語は終わります。モランは救済されました。モランのひとりぼっちの境遇に、心を痛め続けてきたムーミントロールも解放されました。
 さて次は、スナフキンとはい虫のエピソードです。
 スナフキンは、毎年春になると、北へ向かう渡り鳥を空に仰ぎながら、どこか遠い南の土地から、北のムーミン谷を目指して、一人で、歩いて旅をする習慣があります。
 その春、スナフキンは旅をしながら「春のしらべ」を作曲し続けていました。ムーミントロールに再会したときに購る歌です。スナフキンは、半年ぶりにムーミントロールに会うのをなによりも楽しみにしていました。そもそもスナフキンが毎年春にムーミン谷を訪問する大きな理由は、無二の親友ムーミントロールに会うことなのです。ムーミントロールもまた春にスナフキンがムーミン谷へやってくるのをだれよりも待ちこがれています。
 去年の秋、スナフキン(原名スヌースムムリク)がムーミン谷を去るとき、ムーミントロールは別れを悲しみ、早く会いたがっていました。ロでは「もちろん君は自由でなくちゃね。君がここを出ていくのは、当然ですよ。君がときどきー人になりたいという気持ちは、ぼく、よくわかるんだ。」と言ったものの、そのあと、悲しみのあまり、ムーミントロールの目は真っ暗になって、だれが、どう慰めても、どうしようもないほど、悲しみに沈んでいました。
 スナフキンは旅の途中でそのムーミントロールを思い出し、「ああ、あいつはいいやつだなあ、あいつは!」といっています。それだけに、いま、半年ぶりに会うムーミントロールに贈る「春のしらべ」を作曲することは、スナフキンにとっては大変重要なことでした。

 「春のしらべ」は、スナフキンがムーミン谷近くの白樺の森の小川のそばまで来たときには、頭の中で出来上がっていて、あとはそれをつかまえるだけになっていました。しかし、はい虫が現れ、事態は急変します。
 スナフキンは小川の向こう岸の木の根元に座って、じっと、自分を見ているはい虫に気づきました。この時スナフキンははい虫の視線に釘付けになっています。「ひどくおびえた目をしている」「おずおずとした目をしている」「だれにも相手にされたことがない人間のような目つきをしている」ことを即座に感じとっていました。そして、その視線をひしひしと感じ続けていたために、「春のしらべ」は戻ってきませんでした。スナフキンは、「はい虫」と出会う前に、はい虫が自由に生きていないことに心を奪われてしまっていたのです。そして、そのために作曲が出来なくなってしまいました。はい虫に作曲の邪魔をされたからではありません。はい虫の個性やはい虫が置かれている状況が、スナフキンの心をいっぱいにしてしまったからです。「はい虫が自由に生きられないでいる」という思いが、あれほど大切な作曲を不可能にしてしまったといってよいでしょう。
 その後で、スナフキンは、作曲がだめになったことに失望し、混乱していました。そのような状態ではい虫と向きあったために、スナフキンはショックのあまり、これまで見せたこともないような態度を見せます。スナフキンのように自由になりたくて、スナフキンに憧れ、スナフキンの話ならなんでも聞きたがっているはい虫に向かって、「しっ、あっちへ行け」とどなりつけたり、そっけなくしたり、突っけんどんな言い方をしたり、むっとしたり、嘘までつきます。
 スナフキンはまるで別人のようです。自分を見失い、自己を疎外し、他者を疎外し、もう、いつものようなスナフキンではなくなっています。それでもスナフキンは、かろうじて、「あんまりだれかを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」という言葉を残し、名なしのはい虫に名前を考えてほしいといわれて、ティティ=ウーという名前を、しぶしぶ提案しました。
 翌朝、スナフキンはムーミン谷へ向かって旅を続けますが、「春のしらべ」は戻ってきません。それどころか、はい虫のいった言葉と、自分がいった言葉とが、残らず思い出されてきて、苦しくなり、お昼ごろには、とうとう一歩も歩けなくなってしまいます。そしてスナフキンは、やおら向きを変え、半日かけて歩いてきた道をもどっていきました。

 スナフキンの苦しみとは、なんだったのでしょうか? そして、スナフキンはなぜ戻ったのでしょうか?
 戻ってみると、はい虫は、前日にスナフキンにつけてもらったティティ=ウーという自分の名前を書いた標札を作りあげていました。さらに、母親の家を出て、新しい自分の家を作り始めていました。そして、こんなこともいっています。「ぼくは、ぼくなのさ。だから、出来事はすべて、なにかの意味を持つんです。だって、それはただ起こるんじゃなくて、ぼく、ティティ=ウーに起こるんですからね。そして、ティティ=ウーであるぼくが、それについてあれこれと考えるわけですからね。ぼくのいうことがわかりますか」と。そしてスナフキンが「君と話をしたくてもどってきたんだ」といっても、ティティ=ウーは「いまは忙しいので、おかまいなく」といって、自分を生きるのに忙しく、去って行ってしまいます。はい虫が自分を見出し、自分の好きなことに生きている姿に接し、スナフキンは思わず「ふうん。そうか、そうだったのか、そういうことなんだ」と独り言をいって、うれしそうでした。スナフキンが初めて会った時のおずおずとしたはい虫は、そこにはもういませんでした。個人としての自分らしい、個性を持たずに、全員が同じように生きているはい虫の仲間とは違っていました。
 スナフキンは、自分を発見して自由に生きているティティ=ウーに感動したとたん、苦しみが氷解し、同時に「春のしらべ」を取り戻すことができました。従って、スナフキンの苦しみは、はい虫が自由に生きていなかったことと関系があったことは明らかです。スナフキンはそのようなはい虫に嘘をついたり、皮肉を言ったり、あっちへ行けと怒鳴ったりしてしまったのです。たとえ自分にとって最も大切であった「春のしらべ」の作曲ができなくなったとはいえ、自由に生きられないでいた者が自由になりたいというシグナルを送り続けていたのに、スナフキンはそのはい虫を疎外し無視してしまったわけです。スナフキンの苦しみは、そうした自分に気づいたときに始まったのではないでしょうか。
 そうであれば、はい虫のところへ戻って、はい虫(他者)を疎外し無視したことを修復しようとしないかぎり、スナフキンが自分の苦しみから抜けでる道はありません。こうしてスナフキンははい虫のところへ戻る決心をしたのでしょう。
 この時、スナフキンは、はい虫のところへ戻るか、戻らないかなどと悩みはしませんでした。また、「あんまり誰かを崇拝すると、本当の自由は得られないんだぜ」と言ってやったし、名前をつけてほしいというはい虫に名前をつけてやったから、自分はできる限りのことをしたといって、自分を正当化して、戻らずに旅を続けることもしませんでした。また、邪魔をしたはい虫が悪いのだとか、おかげで「春のしらべ」の作曲がだめになったとも考えませんでした。ただ、はい虫が言った言葉と自分が言った言葉を思いだしながら、はい虫を疎外し無視してしまったことで苦しんでいたと見てよいでしょう。
 おそらく、スナフキンは戻っても、はい虫が、相変わらずおずおずとし、自己を疎外して生きていると思っていたのでしょう。だからこそ、戻ったときにはい虫が自分を生きている姿を見て、「ふうん。そうか、そうだったのか、そういうことなんだ」という言葉がロを突いて出てきたのでしょう。スナフキンの「自由」への関心は途方もなく深いことがわかります。
 こうして、いつものスナフキンが戻ってきました。はい虫は希望どおりはい虫の属性から抜け出して、自分を見出して、自由に生き、スナフキンも自由を取り戻しました。

 <大好きなこと>を持つことと、それをもって<他者と関わる>ことが、他者と自己を解放する原動力となる例をニつみてきました。このような解放の様式は、ムーミン童話のいたるところにみられます。夏至祭の寄るに料理を作って親戚が来るのを待つことが習慣だからといって、一度の来たことがない親戚を毎年侍ち続けてきたフィリフヨンは習慣を破って、ムーミントロールとスノークのお嬢さんと好きなことを一緒にしたときに長年の呪縛から解放される喜びを知りました。老後に年金で静かに暮らしたいと思いながら好きでもない遊園地の切符切りの仕事をしていた子ども好きのへムレンさんは、子どもの希望に応えて公園をつくり、子ともたちとともに生きはじめたとき、自分らしさを取り戻しました。

 <大好きなこと>を持つ者による解放劇の傑作は、なんといっても『ム一ミンパパ海へ行く』ではないでしょうか。新生活を始めたパパの島に6人の人物がいて、ミイを除く5人が、自分を見失い、解放していく物語です。なにやらわけがあっていつもひとりの漁師、ホームシックになって姿を消たママ、海の調査をしているうちに海のことが分からなくなり、どうしたらいいかとムーミントロールに尋ねるパパ、ひとりぼっちのモラン、自分のすみかにしたいしげみのアリを追い出せないムーミン卜ロール、みな自分を見失ないます。 しかし、ー方では、観察と批評と直言の好きなミイ、友だち大好きのムーミントロール、海と冒険と紳士の交わりが大好きなパパ、ピクニックとパーテイーと接待が好きなママたちの、それぞれ大好きなことをもっている人々の独特な個性の交流によって、ひとり、そしてまたひとりと、自分を取り戻し、解放していきます。まるで生命の美しい万華鏡をみているかのようです。

 以上のように、個性を全開して躍動することを、 E.ミンコフスキーは著書『生きられる時間TU』(みすず書房1972ー1973年 第1版1933年、改訂版1968年)で、「人格的躍動」とか「私は私の人格を花咲かせる」とか「私は私の行為によって開花する」といっています。(第1編第2章) ここに、「大好き」なことを持って、全人格=個性を解放している、ムーミントロール、スナフキン、ミイそのほかの人々との近さを感じます。また、ミンコフスキーは、同書第3章で、全人格を解放して他者とかかわることを、「現実との生命的接触」または「生きられる共時性」と名付けています。日本の真木悠介は『時間の比較社会学』(岩波書店1981年)において、ミンコフスキ一を受けて、これを「存在のうちに交響する能力」といっています。ここにもまた、個性を全開して、リアルタイムで、他者と向き合い、交響しあうムーミントロ一ル、スナフキンほかの登場人物との近さを感じないではいられません。

 ミンコフスキーは、この「人格的躍動」と「現実との生命的接触」または「生きられる共時性」の二つを、われわれが「生きられる時間」を獲得でき
るための、原理として、われわれに堤示しています。 また、ミンコフスキーは、デカルトの「われ存り(j'existe)」(我思う故に我あり)は、われわれが、生きられる時間を獲得する上ではたいしたことではないとして、デカルト以来の合理主義に否定的です。(『生きられる時間』第2章)

 現代人が西欧の合理主議では人類の未来に「生きられる時間」を持てないことに気づいて、およそ40年が経過しました。ム一ミン童話の誕生は、われわれにとって、一つの救いではないかと思っています。
 最後にトーべに大きな影響を与えた演出家ビビカ・バンドラー(Vivica Bandler)の言葉を引用して、私の話をおわります。「ムーミン童話は人類へのおくりものです」(高橋静男
大阪府立国際児童文学館退職記念講演 1998/10/17