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「あれは忘れもせん、めずらしゅう米のできのよか年じゃった」 まず、妻の黄順而さんが語りはじめます。今の韓国、全羅南道の村で、一九四二年頃のある日、十二歳になったばかりの長男学成は、山仕事にいく途中、田畑で働いていた人びととともに引っぱられ、日本に強制連行されてしまったのでした。子どもでも体格のよかった学成は、「労働戦士」として日本の炭鉱に連れ去られたのです。 募集という名目での連行は三九年より行われ、さらに強制徴用令となって、若い朝鮮の人びとは東南アジアの戦場や軍需工場、そして炭鉱に動員されました。特に近代日本のエネルギーを支えた石炭産業は労働力が不足し、多くの人びとが炭鉱に連れてこられました。 黄さんの夫で学成の父親の金判男さんは、息子を探し、また苦しい小作農の生活を楽にしようと、日本に渡り、ボタ山の連なる筑豊炭鉱に入ります。 でも、あまりにも苛酷な労働の日々が待っていました。「半島四十一番」と番号をつけられた金さんは、「半島切羽」とよばれるいちばん辛い現場で石炭掘りをすることになりました。賃金の未払いや恐ろしいリンチに直面して、金さんはついに逃亡を決意し、他の炭鉱を転々とします。 多くの朝鮮人労働者が体験したこの苦難を、作者は実際の聞き取りから、若い人びとに語りかける物語として再構成し、筑豊弁による、親しみやすく迫力ある一人語りの形にまとめました。 結局、学成とはめぐりあえないまま、家族とともに日本で暮らす道を選んだ金さんに、在日朝鮮人の歴史が凝縮されているようです。 金さんを助けた親切な日本人たちについても触れられ、ちょっとほっとさせられます。 自身も筑豊で育った作者の思いがこもった一冊。太田大八さんの装画もすぐれています。(きどのりこ) 『こころの友』1999.09 |
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